1074話 イタリアの散歩者 第30話

 「イタリア料理」は新しい 〜ピザとスパゲティの話 その7
    パスタはスパゲティだけじゃないのに


 ひも状のパスタは、Bucatini、Canalini、Bavette、Spaghetti、Vermicelli、Capellini、Fedelini、Linguine、Chitaraなど多数あるのに、なぜSpaghettiだけが世界に広まったのか。その謎を考えずに、スパゲティの歴史を語ることはできない。スパゲティについて書き、語ってきた数多くの人が、なぜそのことに疑問を持たないのか不思議だ。
 私の仮説は、次のようなものだ。
 一応の定義では、Spaghetttiは直径2ミリ程度の麺を言い、それよりちょっと太いとVermicelli、ちょっと細いとSpaghettini、Fedeliniといったようにそれぞれに名前がついているが、アメリカではイタリア人が持ち込んだ麺を区別せず、なぜかすべてをSpaghettiと呼んだと考えると、理解しやすい。私の能力では、「なぜか、スパゲティという名で呼んだ」としか言えない。このあたり、「アメリカにおけるイタリア食文化の影響史」といった分野に足を深く踏み入れないといけないのだが、今はそこを少し触れるだけにする。
 アメリカに、パスタ関連業者の団体、National Pasta Associationというものがある。もともとは、アメリカで最初に設立された業界団体National Macaroni Manufacturers Associationで、1848年、ブルックリンで設立された。1981年に、現在の名称になった。つまり、業界では1981年になるまで、総称はpastaではなくずっとMacaroniだったのである。
 https://www.ilovepasta.org/
 スパゲティがイタリア全土に広まる前に、移民がアメリカに持ち込み、アメリカで大きく開花した。重要だからもう一度言うが、スパゲティという麺がイタリア全土に広まる前に、アメリカではごく普通の食べ物になっていたのである。うん、ピザに似ている。
 イタリア移民が、アメリカで「スパゲティ」と呼ぶことにしたひも状の麺の生産を始めた。19世紀なかばのことだ。イタリア南部の小規模生産が、アメリカでは一気に大量生産が始まり、ひも状のパスタは「スパゲティ」に収束し、それ以外のひも状パスタは「その他大勢」として、一部のイタリア料理店とイタリア人家庭で食べられていた。アメリカの圧倒的な生産量のせいで、「イタリアの麺はスパゲティである」という固定概念はアメリカだけでなく、世界各地に広がった。日本ももちろん、そのうちのひとつだ。「マ・マー」ブランドの日清フーズでは、1.4〜1.8mmの麺は、やや扁平なフィットチーネを除いて、すべて「スパゲティ」と呼んでいる。
 じつは、イタリアでは「spaghetti」という語の歴史は浅いのではないかと思っている。
 例えば、”Pasta Classica”(Julia della Croce、Chronicle Books、1987)には、ナポリで19世紀に作られたパスタのカタログが載っているが、そこに”spaghetti”という名のパスタはないのだ。だからといって「その当時、スパゲティがなかった」とは言えないが、少なくとも、パスタの主流ではなかったことは確かだ。
 あるいは、20世紀半ばでも、例えば、「spaghetti」で画像検索すると必ず出てくるこの写真。
 http://www.wantedinrome.com/news/rough-guide-to-romes-most-used-expressions.html
 これはアルベルト・ソルディ主演の映画”Un Americano a Roma”(1954年。「ローマのアメリカ人」の意味。日本未公開だが、YouTubeで見ることができる)の、「スパゲティを食べているシーン」として非常に有名だが、この映画ではこのひも状パスタに対して、主人公は、「マッカーローニ」と言っている(なぜか、「マッケローニ」ではない)。
 この映画の開始から12分ほど経過したシーン参照。
 https://www.youtube.com/watch?v=MDSt-jgnvxM
 ちなみに、この映画は、アメリカ文化にあこがれて、ジーパンなどアメリカ風ファッションをしている男を描いている。ピザのところで書いたように、イタリア人がアメリカ文化に強烈にあこがれた時代の作品だ。アメリカでは、スパゲティは代表的なイタリア料理になっているが、本国のイタリアでは「スパゲティ」という語はまだ一般的ではなかったと推察できる。
 『パスタの迷宮』(大矢復、洋泉社、2002)には、パスタ製造機の図版が何枚も引用されている。出典は、”Industrial del Pastifico o del Maccheroni” (Renato Rovetta,1951)で、書名を訳すと『マッケローニとパスタ生産の工業技術』。1951年でもまだ、「スパゲティ」という語は使っていない。Pastificoは「パスタ工場」の意味。Pastaとmaccheroniは違うという表記なのだが、よくわからない。
 種々の資料を突き合わせると、南イタリアで生まれたひも状の乾燥パスタは、マッケローニあるいはバルミチェリと呼ばれていたが、アメリカに持ち込まれて「スパゲティ」の名で代表的なアメリカの食べ物になった。だから、イタリアではほとんど知られていなかったのだが、逆輸入することでイタリアにもスパゲティが広まった。私はそう夢想する。そういう歴史を想像して、「スパゲティは南イタリア生まれで、アメリカ育ちである」という仮説を思いついたのである。
 ピザもまたアメリカからイタリアに逆輸入されたが、イタリアのスパゲティがアメリカの影響をどれだけ受けたかは、私にはよくわからないが、次回はそのヒントは書いておく。


 バーリで食べたスパゲティ・トマトソース。5ユーロ。タコ料理をセコンド・ピアット(主菜)にした時のプリモ・ピアットだから、具がないパスタでも我慢ができるが、ひと口食べて、「これならオレが作った方がうまい」。ややアルデンテだった。