1075話 イタリアの散歩者 第31話

 「イタリア料理」は新しい 〜ピザとスパゲティの話 その8
    スパゲティも海を渡る

 貧しいイタリア人が食べていたひも状パスタは、アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ、つまりニンニクとトウガラシが入ったものか、ニンニクに塩コショー味のものだった。そういう話は、『国境のない生き方』(ヤマザキマリ小学館、2015)の、イタリア貧乏暮らしの話にも出てくる。ピザのところで書いたように、イタリア南部のごく普通の家庭のスパゲティは、具などあまりないようだ。つまり、そばでいう、 「ざる」か「かけ」のようなものらしい。
 食うや食わずの生活を送っていたイタリア南部の住人が移住したアメリカは、働けばトマトも肉も安く手に入る豊かな国だった。そういうアメリカで生まれたのが、スパゲティ・ミートボール(Spaghetti with meatbollsあるいは、Spaghetti and meatbolls)である。1920年代には作られていたという記録がある。肉などめったに食べられなかったイタリア移民の恨みと願望を表したこの料理が、アメリカの代表的スパゲティになっている。
 http://www.cookingchanneltv.com/recipes/tiffani-thiessen/spaghetti-and-meatballs-3302645
 スパゲティはイタリア南部からアメリカ全土に広がったが、イタリア全土にはなかなか広まらなかった。ピザと同じだ。南部の代表的なパスタは、デュラム小麦を原料にしたスパゲティのような乾燥パスタだが、北部ではパン小麦で作った生パスタが主流で、これは家庭でも作れる。
 数年前のことだ。あるテレビ番組で、日本在住イタリア人がこんな話をしていた。
 「北イタリアで育ったボクの母親は、大人になるまでスパゲティを食べたことがなかったと言っていました」
 そのイタリア人は30代後半くらいの年齢だから、その母が十代だったころとなると、40年くらい前、1970年代あたりだろう。『ねじ曲げられた「イタリア料理」』にも、同じような思い出話が出てくる。1955年生まれの著者の、思い出話である。
 「僕が子どものころ、我が家ではかなりトラディショナルな北イタリアの家庭料理が食べられていたのだが、パスタといえば、普通は手打ちの生パスタ―ラザニア、タリアッテレ、ラビオリといったものだった。そして、ラザニア以外は、しばしば豚肉や鶏のガラなどでダシを取ったスープの中に入れて食べていた。乾燥パスタも食卓に出たことはあったけれど、極めてまれ。乾燥パスタは、バターやすり下ろした硬質チーズ、またはラグー(ミートソースのようなもの)にからめて食べた」
 まれに食べたという乾燥パスタが、スパゲティのようなロングパスタなのか、ペンネのようなショートパスタ(マカロニ類)なのかは、この文章ではわからないが、日常のありふれた食材ではないことはわかる。
 高校生になって初めてペペロンチーノを食べた、と書いている。それは著者が初めて口にしたスパゲティらしい。高校の友人たちといっしょに食べたが、誰もが初めて食べる料理だった。「1970年代のミラノの高校生は、まだ南イタリアの料理を知らなかった」という。著者は、「ボクの母親は・・」とテレビでしゃべっていたその母親と同世代だろう。1970年代のミラノでは、スパゲティはまだ普通の食べ物ではなかったということがよくわかる。スパゲティもピザと同じように、「イタリアを代表する食べ物」と言えるようになるのは、1980年代以降ということになる。
 こういう事実を知って驚くのは、日本人がナポリタンだの、ミートソースだの、タラコ・スパゲティだのを食べていたころでも、北イタリアではスパゲティを食べたことがない人がいくらでもいたということだ。
 つまり、私の仮説は正しかったと胸を張っていいのかな?
 イタリア料理の専門家が、なぜこういうことに気がつかなかったのかといえば、書き手も編集者も読者も、レストランガイドと料理の仕方にしか興味がないからだ。料理研究家とは、どう料理するかを研究する人のことで、料理そのものを研究する人ではない。だから、食文化の歴史を調べてみようとしなかったのだ。なぜか知らないが、スパゲティを無理やり「パスタ」と言い換えようとしたために、パスタの歴史がスパゲティの歴史だと誤解する人が多く出現したことも、混乱の原因のひとつだ。
 こういう話を、帰国後すぐに舛谷鋭(ますたに・さとし、立教大学教授)さんにすると、「烏龍茶と同じというわけですね」と言った。そうだ、数年前に舛谷さんに烏龍茶ビジネスの話をしたことを、すっかり忘れていた。
 烏龍茶は福建省など、中国南部だけで飲まれていたお茶で、中国の中・北部に住んでいる人は、烏龍茶なるものを知らないで過ごしていた。日本の中国料理店でも、中国茶といえばジャスミン茶だった。台湾や中国南部から日本に烏龍茶が入り、茶葉の販売から、缶入りのお茶を売るようになり、ペットボトルに入った姿で、日本ではすっかり定着した。そして、1997年に、サントリーが中国でペットボトル入り烏龍茶の販売を始めたのだ。日本企業が、中国で中国茶販売を始めたのである。そのテレビやラジオのコマーシャルのナレーションを担当したのが、葉千栄(よう・せんえい)東海大学教授だった。「中国人に、烏龍茶とはどういうものかという説明をしたんですよ」と、葉氏がラジオ番組で話していた。そんな話を、かつて舛谷さんにしたことがあった。
 このアジア雑語林でスパゲティのことを書いていて、烏龍茶のことをすっかり忘れていた。何かおもしろそうなことを知ると、だれかれ構わずに話したくなるのは、自分が考えつかなかった視点を与えてくれるからだ。舛谷さんにスパゲティの話をしなかったら、烏龍茶のことを思い出さなかった。食文化研究はこんなにおもしろいのに、興味を持つ人は多くない。

 パスタ各種。黒いのは、イカ墨スパゲティ。こういうパスタは、今では日本でも簡単に手に入るが、イタリアのレストランではそれほどポピュラーではないように思う。つまり、お土産用か? 事情通の方、ご教授ください。