1079話 イタリアの散歩者 第35話

 「イタリア料理」は新しい 〜ピザとスパゲティの話 その12
    アルデンテ 上

 たびたび引用している『食のイタリア文化史』によれば、パスタはもともと2時間はゆでていたのだが、ある時からアルデンテと言われるような硬ゆでになったというのだ。昔は、よくゆでたら、水洗いして料理するという記述もある。「2時間」という数字に疑問はあるが、「元は軟らかかった」という記述は興味深い。イタリア人は固いアルデンテを好み、イタリアを出たパスタは外国で軟らかくなったという私の理解は誤りのようだ。そもそもパスタは軟らかくゆでていたのだが、イタリア人はある時から(それが「いつ」とは書いてないのが残念)固ゆでのパスタを好むようになったというのだ。スパゲティがアメリカなど国外に伝わった当時は軟らかくゆでるのが普通で、国外では昔のまま軟らかいパスタが残っているのだという解説は興味深いが、深い考察はない。
 ちなみに、アメリカの料理本、”The Boston Cooking School Cook Book 1923”には、スパゲティを軟らかくなるまでゆでたら、水洗いしてからクリームやトマトソースなどで料理すると書いてある。今、現物が行方不明で確認ができないのだが、『食べちゃおイタリア!』(パンツェッタ・ジローラモパンツェッタ貴久子、光文社、1998)だったと思うが、ジローラモの兄曰く、「スパゲティはよくゆでて、水洗いしてから料理する」と語っていてびっくりしたのだが、歴史的には正しいということになる。
 ラルースの料理百科事典”Larousse Gastronomique 1961”では、スパゲティを9〜12分茹でたら、鍋を火からおろし、フタをしたまま数分置いて、柔らかくなるのを待つとある。  
 根拠もなく言うが、19世紀の終わりから20世紀初めのイタリアのパスタ、路上で手づかみで食べられていたパスタは、ふにゃふにゃにゆでていたのではないか。
その根拠らしきことをひねり出せば、よくゆでた方がカサが増えるし、路上の飯屋がアルデンテにするような、細やかな神経を使ったとも思えないといったことだ。そして、ヨーロッパの食文化史を調べてみると、「消化がいい」ということが重要なことで、野菜をクタクタになるまで煮るのはそういう理由があるからだ。
 それがどういういきさつで「固ゆで」になったのかという考察は、私の力の及ぶものではない。イタリアの食文化研究者は、このテーマをぜひ手掛けてほしい。
 イタリア通の日本人は簡単に「パスタはアルデンテで」と言うが、本当にそうなのかといつも疑問に思っている。アルデンテ(Al dente)というのは、「歯に」という意味で、芯が残るようにゆでる固ゆでのことをいう。つまり、「パスタは固ゆで」はイタリア本場の料理法だと料理本には書いてある。しかし、考えておかないといけないのは、ひとくちにパスタといっても、生麺もあれば乾麺もある。さまざまな形があり、その料理法も多種多彩だ。煮込む料理もあれば、ソースと和えるだけの料理もある。そして、歴史的変遷や地域差や個人差なども考えないといけないのに、知ったかぶりか受け売りで「本場イタリアでは必ずアルデンテ!」と言っているに過ぎないと思えてくるのだ。
 ミラノでバールに入った。喫茶店兼食堂のような店で、近くのサラリーマンも食事に来るような店だ。スパゲティ・カルボナーラを注文したら、わずか2分でテーブルに出てきた。これはおかしい。2分でスパゲティがゆでられるわけはない。ということは、冷凍か?食べてみると、離乳食のように柔らかい。東京の立ち食いうどんのように柔らかい。私は食べたことはないが、学校給食のソフト麺はこういう軟らかさかもしれない。
 あまりのひどさに文句を言った。店主は私が「うまい」とほめているのだろうと誤解して、ニコニコしながら話に乗ってきたが、「歯のない赤ん坊用のパスタだ」という私の主張が理解できた瞬間に、「No, I,No English,No English speak!」という片言英語に変わり、以後まったく英語が理解できないフリをした。
 これがイタリア最悪のパスタであり、今回の旅で声を荒げた数少ない例だった。
このパスタが冷凍ではないことはわかっている。冷凍なら、まともに食えるレベルだとわかっているからだ。ミラノに行く前に立ち寄ったベネチアで通った店は、インド人と中東出身者らしき男がやっているピザとケバブの店だった。ある日、壁のメニューを見ていたら、ペンネ・アラビアータがあり、注文してみた。冷凍だろう。だからこの機会に、イタリア料理の冷凍食品のレベルを確かめておきたくなったのである。
インド人コックは冷凍庫を漁り、赤い紙箱を取り出した。やはり、冷凍食品だ。電子レンジに入れてセットした。しばらくすると紙箱を取り出し、フタを開け、中身をかき回し、再びレンジへ。数分後、そのままカウンターに持ってくるかと思ったが、プラスチックではあるが一応皿に盛った。6ユーロ。スーパーで買った原価に2ユーロほどの手間賃・場所代を加えている。
 冷凍のペンネは、うまい。ふにゃふにゃかと危惧したが、硬めだった。歯ごたえあり。ソースの味もいい。これが、わが生涯最初の冷凍パスタ体験だ。この例を知っているので、ミラノのふにゃふにゃパスタが冷凍ではありえないと思ったのである。


 ミラノで食べた最悪のふにゃふにゃカルボナーラ。スパゲティといっしょに、スプーンを持ってきた。スパゲティにスプーンがつく証拠写真。しかし、もしかすると、外国人客に「スプーンをくれ」と言われつ続けてのサービスとも理解できるが、ふにゅふにゃパスタは外国人用とは思えない。


 ベネチアの「ペンネ・アラビアータ」。味に不満はなく、ほぼ満腹した。ベネチアなら、貧乏人はこの程度で我慢しなければ。