アエロフロート・ロシア航空
アエロフロートの話をしておきたくなった。その昔、1970年代は、アエロフロートはエジプト航空やパキスタン航空などと並んで、「安いから我慢するしかない航空会社」のひとつだった。「ヨーロッパに安く行くならアエロフロート」という時代があった。
私が初めてアエロフロートに乗ったのは、1975年、ロンドンに行く時だ。往復切符を買えば比較的安かったのだろうが、それはどうにもおもしろくなさそうな旅に思えて、片道切符で日本を出ることにした。そのほうが絶対におもしろいと思ったからだ。横浜発のソ連船に乗ってソビエトのナホトカ。鉄道でハバロフスクへ。そこから飛行機でモスクワ。数日滞在して、飛行機でロンドンというコースで、驚くなかれ、片道15万5000円だった。飛行機を使わずに、全コース鉄道を使っても、食費などを考えたら費用の差はほとんどないという情報を得たいたが、それが正しいかどうか確認しなかった。退屈な鉄道旅行だと思ったからだ。当時は、飛行機で直接ロンドンに飛べば、旅行会社によっては片道12万円、往復25万円程度で手に入った。当時はこれでも「格安航空券」だったのである。数年前なら、こんなに「安い」航空券はなかなか手に入らなかった。
ハバロフスク・モスクワ間のアエロフロート国内線がすさまじいものだったので、国際線のモスクワ・ロンドン間がどうだったかという記憶がない。イリューシンという名の飛行機だったことは覚えている。事前に、旅行会社の人から、「あの飛行機は我々の間では『空飛ぶ按摩機』と呼んでいるんですよ。振動がすさまじくてね」という解説を受けてはいたが、その実態は想像を超えていた。防音設備などついていない大型発電機の上にパイプ椅子を乗せて座っているようなものだった。振動がすさまじく、騒音が耳を襲う。隣の人と話をするにも、耳元で大声を出さないといけない。旅客機のふりをしている輸送機だ。食事と呼べるものが出た記憶はないが、何かの飲食物は出た。なぜそれを覚えているかというと、テーブルが前の座席の裏についている現在のスタイルではなく、スチュワーデスやスチュワードが工事現場の足場板のようなものを持ってきて、板の一方を側面のどこかに差し込み。もう一方は折り畳み式の脚が板を支えたという記憶がある。飛行機はそれほど小さかったというわけではないが、機内は狭かった。その理由は、機内中央に3段ほどの狭い階段があり、その先が見えなかったからだ。前部はVIP席だったのかもしれない。2階建てでもないのに階段がある飛行機は、この機種しか知らない。
食事を終えたら、トイレに行きたくなった。階段を上がったあたりにトイレがあるだろうと想像したが、行けばすぐにわかった。匂ったからだ。階段を上がった右側に衣料品店の試着室のようなものがあり、半分開いたカーテンの向こうに、男子小用便器とそこを飛び交うハエが見えた。匂いも光景も、公園の公衆便所のようだった。
あれから43年もたったのだから、昔ながらのイリューシンが登場するわけはない。記憶はあいまいだが、今回は成田・モスクワ間はエアバス330、モスクワ・プラハ間はボーイング737だったと思う。イリューシンはソビエト崩壊に合わせて廃棄処分されたのかと思ったが、調べてみればまだ運航しているらしい。その昔製造した機材は、国内線や貨物、そして北朝鮮の国際線で飛行しているらしい。
今回のアエロフロート・ロシア航空最大の問題については次回に書くが、全体的には「中国最高の航空会社である中国国際航空エア・チャイナ」(中国の旅行事情に詳しい友人談)と比べても、格段に良かった。
ついでに書いておくと、中国もロシアも、アメリカと同じように、単なる乗り換えだというのに。パスポートチェックをやることだ。中国は長蛇の列を作らされて3回のパスポートチェックがあったが、ロシアは1回だった。問題が多い国が、こういうことをやるのだろう。
モスクワの写真がないので、プラハの写真をカットがわりに。