1197話 プラハ 風がハープを奏でるように 第6回

ドミトリー その1

 

 夜、プラハに着いた。それから宿探しをする気は初めからないから、宿は日本で予約しておいた。チェックインをして、「12号室です」と言われてカギを渡された。2階の12号室のドアを開けたら、Tシャツに短パン姿の若い女がふたりいた。慌ててドアを見たが、「12」と書いてある。フロントに戻って、「すでに客がいる!」と訴えたが、「はいそうですよ。あいているベッドに寝てください」と平然と言う。そんなはずはない。私は個室を予約したんだ。ドミトリーじゃない。もう何十年もドミトリーには泊まっていない。そう言った

 「予約はドミトリーで入っています。それが嫌なら、キャンセルしますか?」

深夜に荷物を持って知らない街で宿探しをする気はない。とりあえず、今夜はドミトリーにしよう。それ以外の選択肢ない。

 ドミトリーというのは、そもそもの意味は学生寮のようなものらしい。大部屋といえばいいか、ベッドがいくつもある部屋だから、通常はひとりで個室に泊まるより安い。狭いドミトリーでは、2段ベッドひとつというふたり部屋、つまり相部屋を体験したのはイスタンブール。バレーボールコートよりもはるかに広い部屋に、2段ベッドが30か40はあったかなあと記憶しているのがアムステルダムの宿。60人か80人の相部屋だ。そして、私のドミトリーの最後の体験は、たぶん、1983年のアテネだろう。それ以後、旅行先をアジアに移したので、ドミトリーには泊まらない。個室でも宿代は安いし、アジアにいるのに西洋人がかたまっている西洋世界にどっぷりつかっているのはつまらんと思ったからだ。

 久しぶりのドミトリーは、実に愉快だった。4日間の自由時間ができたから、ベルリンからオートバイで来たというドイツ人大学生。国際関係論専攻だといった。同じく国際関係論を専攻している大学院の留学生は、ジョージア出身の若者。「ジョージアから来ました」と自己紹介したから、「アメリカと言えよ」と思った瞬間、ああ旧姓グルジアかと気がついた。「ポルトガルから来ました」という30代後半の男は、肌が黒かった。モザンビーク出身の父親がインドに留学し、ゴアで知り合ったインド人女性と結婚して帰国したら、モザンビークポルトガルから独立したので、ポルトガルに移住して生まれたのが私ですと自己紹介をした。ポルトガルに行ったときに、ポルトガルの現代史をちょっと頭に入れたので、こういう話はよく理解できる。

 小さなデイバッグだけを手に部屋に入ってきた男がいたので、「まるで家出少年みたいだね」と言ったら、「いやあ、これには深い事情があってね・・・」と、その事情を話し出した。

 30代後半の彼はウクライナ人の会社員。化学方面の研究者で、プラハで学会があるので前日にプラハに来たのだが、「家を出て空港に向かう途中、荷物を家に忘れてきたことに気がついたけど、もう遅い。あとから家族がプラハに来て合流するから荷物の心配はないんだけど、ちゃんとしたクレジットカードも女房が持っていてさ・・」

 彼が今持っているクレジットカードは、米ドルでもユーロでも支払いはできるが、チェコの通貨コロナには対応をしていない。だから、ATMでいったんユーロに両替し、それをコロナに再両替すれば「使えるカード」になるのだが、再両替は大損する。あらかじめ予約しているホテルの支払いができないのでキャンセルし、手持ちのユーロ札を両替して、今夜はこの安宿に泊まることにしたという。

 このウクライナ人が来るまで部屋で話しをしていたのが、ドイツ人大学生とポルトガル人と30代後半のドイツ人。みんな、かなりのインテリである。中欧、東欧の政治や経済の話をしていた。ドイツ人大学生がスマホで地図を出し、国を指さしながら話をした。30代後半のドイツ人が、地名がまったく入っていない地図で元ソ連圏の事情を解説するので、「この地域に詳しいですね」と言ったら、「私はここの出身だから」と地図上の国を指さした。地名のない地図だが、そこは私にもわかった。アルバニアだ。「18歳で、ドイツに渡ったんだ」と言った。彼の現在の国籍をたずねていないから、アルバニア人と言えばいいのかドイツ人といえばいいのか、わからない。宿の会話では国籍なんかどうでもいいのだが、文章にしようと思うとちょっと手間がかかる。

 達者な英語をしゃべるので、「どうやって英語の勉強をしたんですか?」と聞いたら、ちょっとはにかみながら、「私が通った高校がちょっと特別なところで、授業の半分は英語でやっていたんです。だからドイツにいったとき英語では不自由しなかったけど、ドイツ語は苦労しましたよ」

 アルバニア社会主義人民共和国時代を終えて、アルバニア共和国になったのは1991年。今、目の前にいる「アルバニア人」が35歳だとすると、91年には8歳。社会主義時代の記憶はあるが、自由主義経済に入ってから教育を受けていることになるのだなあなどと考えていた。

 

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