1207話 プラハ 風がハープを奏でるように 第16回

 チェコの英語

 

 1918年、チェコスロバキア共和国が誕生した。それまでのドイツ語支配の状況から、チェコ語スロバキア語の世界に変わっていくのだが、ドイツ系住民が多かったこともあり、ドイツ語は依然として強い力を持っていた。1939年にナチス・ドイツの支配を受けるようになって、ドイツ語はまた力を持った。

 1945年に世界大戦が終わり、ドイツの支配を離れたが、今度はソビエトの強い影響力を受けるようになり、ロシア語が義務教育に加わる。1989年のビロード革命以降、ロシア語教育の時代は終わり、外国語教育はまたドイツ語が力を持ったが、若者の関心はドイツ語から英語に変わっている。 

 チェコの英語事情が、私の個人的体験ではどうだったのか。ひと月ほどの短い滞在中に、おそらく100人以上のチェコ人に話しかけた。日々の疑問をそのままにすると欲求不満がたまるので、「おばちゃん」のようになって、どんどん口にするようになった。わからないことは、道を聞くということも含めて、誰かに聞くという行為が、歳とともにだんだんためらいがなくなった。日本語ではまだ無理だが、外国語なら「雨が降りそうだね」とか「暑いねえ、まったく」などと天気の話もできる大人になった。

 100人以上のチェコ人に英語で話しかけて、無視されたことは2例しかない。プラハ本駅の窓口では、英語の質問にチェコ語で対応されるということはあった。それ以外は、英語の会話が成立した。単語を並べるだけの片言の対応ということもわずかにあったが、ほとんどはちゃんとした会話だった。日本の大学生のレベルよりも、はるかに上だった。インテリに見える20 代30代だと、まるでイギリスに留学したことがあるというような英語をしゃべった。通常、私が英語で話しかける場合は、「人を外見で判断して、話しかける」ようにしているので、英語が通じる可能性が高いのだ。

 高齢者や農村部に住んでいる人はこれほど英語をしゃべらないだろうし、チェコ人だと思った人が近隣諸国から来た居住者であるということもある。そういうことを割り引いたとしても、日本とは比べ物にならないくらい英語が通じる。

 日本人がチェコを旅していて、英語が通じることはありがたいのだが、英語の表示がほとんどないのは困る。日本や韓国やカンボジアやタイだと、現地の言語がラテン文字表記されていないとよそ者には不便なのだが、チェコ語ラテン文字を使うから、地名や道路名がチェコ語のままでも困らないのだが、その上を望むと困ることがある。

 ちなみに、ラテン文字、あるいはローマ字を「英語」とか「アルファベット」などと説明する日本人が少なくない。例えば、「私の名前を英語で書くと・・・」という人がいたが、それはローマ字だ。あるいは、「あいうえお・・・」というのは「日本語のアルファベット」なのだから、ローマ字(ラテン文字)を「アルファベット表記」というのは間違いだ。

 ラテン文字を使えば外国人にはわかりやすくなると考えた役人が日本にいる。「Yuubinkyoku」という表記をすれば、外国人の誰もが郵便局だとわかると考えたのだ。道路の表記はテレビニュースにもなった。例えば、「国会前」という道路の看板は、「Kokkai」だった。こうすれば外国人が理解できると考えるのが、日本の役人の浅はかさだ。それがまずいと指摘されて、「The National Diet」と変更したのは、たしか2018年だった。2020年の東京オリンピック対策で、初めて気がついたらしい。来日外国人を、ガイドに案内される団体観光客と労働力としかとらえていない役人と自民&公明議員のオツムがわかる。

http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000105760.pdf

 チェコでも案内板などがチェコ語のままなのだ。「muzeum」はmuseumから類推で、博物館だとわかるというのは例外的存在で、道路の案内矢印のほとんどは、何を示しているのかわからない。だから、表示が博物館を示していることはわかっても、どの博物館かはわからないのだ。ガイドに案内される団体旅行者たちは困らないだろうが、個人旅行者はこれでは困るのだ。地図もチェコ語表記だし。

 ただし、博物館内部の説明では、チェコ語と英語の両方の説明文がついていることもあり、かなり助かる。はたして、日本の博物館や美術館などの説明文は外国語のものがどれだけあるのだろうか。

 「英語の表記がもっとあったら便利なんだけどね」というようなことを宿で旅行者たちとしゃべっていたら、「ドイツだって、チェコと変わらないよ」とドイツ人がいい、「ほかの国だって、大抵は同じようなものさ」ということになった。フランスはどうなんだろう。マレーシアやシンガポールのように、もともとイギリスの植民地だったところは別として、タイでは英語の表示がかなり増えたし、数年前からバンコクのチャイナタウンのバス停には英語の案内板が設置された。アジアでは、そういう国もあるのだ。

 

f:id:maekawa_kenichi:20181211110645j:plain

 チェコ南部のチェスケー・ブディェビッツェからバスでプラハに向かっているときに、に車窓からこういう煙突が見え、原発だとすぐにわかった。

f:id:maekawa_kenichi:20181211110729j:plain

 プラハのある日、路上でチェコ現代史写真展をやっていて、ふたたびあの煙突に出会った。英語の説明もあるのがありがたい。