1089話 イタリアの散歩者 第45話

 トリノにて 〜中国料理


 夕方、突然、中国料理が食べたくなった。散歩の途中に見たファーストフード店風のガラス戸に、中国料理の写真が貼ってあった。安そうな中国料理店だ。散歩をしていて、それを思い出したのだ。「そうだよ、今夜は中国料理だよ、絶対!」という感情を、はやりの表現では「口が中国料理になっている」という。こうなっては、もう他の料理は思い浮かばない。焼きそばでもチャーハンでもいい。あの店のメニューの焼きそばの説明はイタリア語と英語で、「炒めたスパゲティ」となっていたが、本当にスパゲティを炒めるか? 写真は、どう見てもスパゲティだ。
 外はすっかり暗くなったが、まだ8時ちょっと前、イタリアの飲食店ならまだまだやっている時間だと思っていたのだが、店に着くと掃除を終えたところだった。
 「フィニッシュ」
 中国人らしい若い女が言った。もう、口が中国料理になっているから、ほかの選択はない。この近所に中国料理店はありますかと、ゆっくりと英語で言ってみると通じて、駅の方を指さしながら、「あそこに・・」と教えてくれた。
 トリノ駅そばに「華僑飯店」(正確には簡体字。以下、中国語は繁体字で表記)を見つけた。安飯屋、食堂という感じではなく、丸テーブルがあり、厚いメニューがある。焼きそばの写真は、スパゲティ炒めだ。かなり高い店かと思ったが、割合安いので安心した。牛肉飯4ユーロ、雲吞湯2.50ユーロを注文した。
 すぐにワンタンスープが来た。牛肉飯といっしょに食べたかったのだが、西洋料理の習慣を踏襲しているのか、スープだけが先に出てきた。スープがうまい。こういうダシの味がなつかしい。塩味がちょうどいい。ワンタンの肉に、ショウガの風味があるのがわかる。ちゃんとした料理だ。小さなスープ碗に入っているだけだから、すぐになくなった。牛肉飯がまだ来ないから、もう一度メニューを見て、青菜豆腐湯を追加注文した。


 このワンタンスープはかなりうまかったのだが・・・。黒いのはノリ。

 そして、恐ろしい料理がテーブルに来た。この店で「牛肉飯」と称しているのは、牛コマ切れ5枚を醤油で炒めて、ケチャップライスにのせたものだ。これはひどい。私がイメージしていた料理は、広東風のもので、牛肉と玉ねぎをオイスターソースで炒めて飯にのせたもので、広東風でなくても、上海風でも山東風でも、これほどひどいものじゃない。イタリアに来て、まさかケチャップライスを食わされるとは思わなかった。
 さらにひどいのは、青菜豆腐湯だ。味がまったくない。さっきの雲吞湯と同じ料理人が作ったとはとても思えない。テーブルに塩はないが、塩を入れただけでは、どーしようもないが、まあ、しかたがない。多分、労働許可証はないだろうと思われる若い店員に英語とイタリア語で「塩をくれ」と言ってみたが通じない。塩を意味する「鹽」(イェン)を正確に発音する自信はないし、まして書くことなどできない。中国語なら、別の表現をした方が通じるだろうと思った。
 「這不是湯、這是熱開水」(これはスープじゃなくて、お湯だよ)
 若い店員はポカーンとしていて、私のインチキ中国語が通じていないのは明らかだったが、すぐそばのレジにいる店長らしき人の耳では解析できたらしく、店員に何か言い、店員はスープ碗を手にして調理場に持って行き、数分後に味がついて戻ってきた。
 料理が4+2.5+2.5で9ユーロ、これに謎の1.30ユーロというのがついて(席料か?)、合計10.30ユーロ、1400円ほどの夕食。料理を並べた丸テーブルがいくつかあるから、ちゃんとした料理ができるコックがいるらしいが、私の注文は皿洗いが作ったのではないか。なんかよくわからない食堂だった。


 恐ろしきケチャップライス。右が作り直したスープ。スープが来るまで待っていた。メニューには「豆腐」と書いてあったが、豆腐なしだったなあ。