1093話 イタリアの散歩者 第49話

 バチカンをめざせ


 長い空白ののち、またローマに来た。
 初めてローマに来た1982年も、テルミニ駅そばの安宿に泊まったはずだが、それがどこなのか記憶がない。多分、今回泊まった場所とそれほど離れていないだろうと思う。トリノからローマに来て、宿探しに1時間ほどかかったが、いい宿が見つかり、しばらく滞在することにした。


 悪天の北部からローマに降りてくると、陽光が迎えてくれた。

 眼下の白い車が進む方向に2分歩けば、ローマ・テルミニ駅。長く居るなら、住宅地に住んだ方がいいのだが、短期なら利便性を優先した。

 この街を歩いて、1982年のことを少しずつ思い出していた。ピザが食べたくてアフリカからイタリアに来たので、そもそもイタリアに関する知識がない。ガイドブックを読んだことがない。小さな地図をもらっただろうが、もとより観光地に興味も知識もないのだから、観光パンフレットも役に立たない。
 その時、地図をじっくり眺めて、「よし、バチカン市国に行ってみよう」と思った。それは覚えている。小学生時代から地理少年だったから、「世界でいちばん小さな国」とか「世界で長い川ベスト5」といった記事に好奇心が大いに刺激された。ローマの地図を見れば、そのバチカン市国が西の方にあることがわかる。地図の縮尺を見れば、「歩けるぞ」とわかったはずで、すぐさま歩き出した。そして、何の問題もなくバチカンに着いた。その記憶はあるが、どういうルートを通ったのかは記憶にない。そこで、34年後の今回、かつてのルートを探りながら歩いてみようと思った。それがきょうの遊びだ。こうやって、毎日のあそびのネタを探していた。
 地図をじっくり見る。テルミニ駅からバチカンサン・ピエトロ寺院まで直線距離にして4キロほどだ。ひどい迷子にならなければ、多少右往左往しても、2時間ほどで着く計算になる。大したことはない。
 散歩の目的は、最短距離でできるだけ早くバチカンに着くことではないので、地図を精査せずに、あの時も、まずは大通りを歩いてみようと、カブール通り(Via Cavour)を歩き始めたと思う。今回も同じようにする。南東に進み、そのまま路地に入って南下すれば、かのコロッセオに至る。34年前は、たぶんコロッセオに寄ったと思う。あの姿だから、見えれば素通りはしないだろう。


 前回は、カネを払って中に入ったことを思い出して、素通り。

 今回はカブール通りをそのまま進み、フォーリ・インペリアーリ通りに入る。この文章を書いている今は地図で道路名を確認しているが、目的もなく歩いているときは、迷わない限り道路名などあまり気にしない。だから、この道路名にも記憶がない。
 その道路を進むと広場に出て、その名がベネチア広場だということも知らなかったが、あのときの光景が蘇った。やはり、そうだ、34年前にも、ここにいたのだ。迷わないように広い道路を歩いていたのだが、ビットリオ・エマヌエーレ2世記念堂を目の前にして、「これはだめだ」と思った。大通りを歩くと、こういう醜悪な巨大建造物に出会ってしまう。偉業や威光を示す建造物は、一種の宗教施設のようで、私の趣味には合わない。台北の中正記念堂に行く気がないのも同じ理由からだ。要するに、エラそーな建物が嫌いなのだ。


 人の大きさを見ると、この建造物のでかさと偉そうさがよくわかる。

 醜悪な建物を見たくないので、ベネチア広場から路地に入って北上し、バチカンに近づこうとした34年前の行動をよく覚えているのは、路地を歩いていると突然視界が開けて、トレビの泉が目の前にあったからだ。34年前に、ローマの建造物で私が知っていたのはコロッセオとトレビの泉くらいのものだが、だからといってトレビの泉をぜひ見たいと思っていたわけではない。醜悪な建造物を視界から避けて、小路に入り込んでいたら、まったく偶然に、路地の先に泉があったのだ。「ええ、こんな場所にあるのかい?」と思って近づいた泉は、ちょうど掃除中で、水は抜いてあった。


 説明の必要のない写真。

 トレビの泉を抜けて路地を歩き回り、今回も前回と同じようにカブール橋を歩いて対岸に渡り、サンタンジェロ城を左手に見ながら、バチカンに入った。34年前、バチカン市国という「国」だから、もしかして入国審査があるかもしれないと思ったのだが、国境もなく、いつの間にかバチカン市国に入っていたというのも思い出した。
前回は、半ズボン姿だからという理由でサン・ピエトロ大聖堂には入れなかった。今回は長ズボンをはいているが、初めから入る気はない。もし入りたいと思っても、とんでもない長蛇の列だから、並んでまで待つ気にはならない。あのころはまだ中国人観光客がいなかったから、観光地の混雑は今ほどひどくはなかった。韓国も、まだ海外旅行は自由化されていなかった。東ヨーロッパは共産圏で、海外旅行ができる政治状況ではなかった。


 このあたりから見て、写真を撮り、引き返した。
 

 バチカン市国は散歩してもおもしろくないのですぐに出国し、テレベ川沿いを歩き、何の理由もなくマツィーニ橋を渡った。古い地区だとすぐにわかる。風情があるという感じがして、しばらく散歩した。
 後日、ブラスキ宮(ローマ博物館)に行ったあと、近くを散歩しているうちに、またその地区に出た。数日前のこととはいえ、知り合いに偶然会ったような驚きがあった。その地区、ジュリア通り(Via Giulia)のあたりを、須賀敦子が『トリエステの坂道』の「ふるえる手」で詳しく書いているのを知ったのは帰国してからだ。


 ジュリア街の写真を撮ったと思ったのだが、1枚もなかった。代わりに、どこかの小路の石畳。多分、ジュリア街近くだっただろうと思うが、まあ、どこでも同じだ。