1098話 イタリアの散歩者 第54話

 ローマの日本家屋

 1096話で、エウルの国立イタリア民俗博物館(前川の意訳)で、日本家屋が映った古い写真があるという話を書いた。帰国してから調べてみたのだが、よくわからない。多少なりとも力を入れて調べ始めれば、時間がかかり、場合によっては資料代もかかる可能性があるので、「まあ、いいか。調べたいことはいくらでもあるし、深く知りたい読者などいないだろうし」と、ずっとわからないままにしておいたのだが、何か気になる。
 博物館で、こういう写真を見たのだ。

 ほかにこういう画像がネットにある(うまくリンクできない場合は、コピペしてください)。。
 https://www.romasparita.eu/foto-roma-sparita/76193/piazza-darmi-31
 http://www.jfroma.it/speciale-50-anni-lesposizione-internazionale-del-1911/
 なぜか本を読む気のない朝に、気分転換代わりに、「よーし、調べるぞ」と腰を据えて、パソコンに向かった。知りたい気分だったのだ。場合によっては図書館通いも覚悟しないといけないが、まずはパソコンだ。日本語と英語、イタリア語は自動翻訳を利用して大意をつかみ、調べていくうちに、だんだん事情がわかってきた。
1911年にトリノ万国博覧会が開催された。写真の日本建築と関係があるそうだが、トリノにあったわけではない。トリノ万博の資料は日本語でもいくらでも見つかるのだが、その先がわからない。いくつものヒントを検索語にしてさらに調べていくと、ありがたいことに日本語の論文が見つかった。これで全容がわかった。
明治44年(1911)羅馬万国美術博覧会と平山英三」(天貝 義教 、 秋田公立美術大学研究紀要第3号、2016、02,-29)という論文だ。
  1911年の、イタリア王国建国50周年を記念してトリノ万国博覧会が開催され、ローマでは万国美術博覧会が開催された。万国美術博覧会の会場は、ローマのボルゲーゼ公園の北西部だった。そのときの日本館が、写真のあの建物だったというわけだ。当時のイタリア本館は、現在国立イタリア近現代美術館になり、イギリス館はブリティッシュ・スクール・ローマ校として残っているが、日本館は今はない。いつ取り壊されたのか分からない。
 ローマを散歩していて、「もしや、あれか?」と思った日本建築があった。トラム遊びをやっていて、行き先など気にせず来たトラムに乗るという遊びをやっていて、ある日、見知らぬ終点に連れていかれたことがあった。地図を見れば、そこは国立イタリア近現代美術館前だった。トラムを降りて、そのままテベレ川方向にベッレ・アルチ通りを歩いていくと、右側の切り立った崖の上に日本建築が見えた。あまりに高い崖で裏手らしいので、それがなにかわからないのだが、地図を見ると、ローマ日本文化会館だとわかる。ただし、これが写真の日本建築ではなさそうだ。調べてみれば、ローマ日本文化会館は近代和風建築で知られる吉田五十八(よしだいそや 1894~1974)の設計で、1962年に完成したものらしい。
 そんなことを思い出しつつ、ひき続きあの日本館が建っていた場所を資料から探ると、現在は、ローマ大学・サピエンツァ校(Sapienza―Universita di Roma)の建築学部があることがわかった。そこで、逆にその校舎がどこにあるのか調べてみると、ローマ日本文化会館のすぐ北、位置的には文化会館の向かい側だとわかる。
 http://www.architettura.uniroma1.it/archivionotizie/propriet-sede-gramsci
 そうか、現代の日本建築のすぐ前に、かつては木造の日本建築があったのだ。これで、謎がいくらか解けた。やはり、調べるのは、おもしろい。