1113話 イタリアの散歩者 第69話

落穂ひろい
    家族の食事

 ローマの休日のレストラン。大衆食堂というよりはやや高級で、ボーイがネクタイを締めている。その店に入るとすぐに、隣に家族連れが座った。会話から韓国人家族だとわかる。幼稚園児と小学生の子供に夫婦という4人。荷物や服装、そして身のこなしから、観光客ではなく駐在員とその家族のように見える。
 英語での注文の後、だいぶたってブイヤベースのような魚貝類の料理の大皿とサラダやパスタなどが運ばれてきた。魚貝類を食べたいという気持ちはわかるが、ナイフとフォークでは食べにくい。左目で韓国人家族の食事風景を観察し、「箸とサジなら食いやすいのになあ」なんて思っているのではないかと想像しながら食事した。夫婦は修行を積んだのか、巧みにナイフとフォークを使って食事をしている。
 子どもたちが食べ残したスパゲティが父親に回ってきた。フォークですくい、口に運ぶ。チュルチュル、ズルズルという音がした。ああ、韓国の黒々ミートソース麺「チャジャンミョン」を食べている気分なのか。韓国食文化のクセが、ここで出たか。誤解しないでほしいのだが、この韓国人客を「お里が知れた」と嘲笑しているのではない。異文化と出合った時に起こる文化のクセが興味深いのだ。スパゲティの皿を左手で持ち上げて食べる日本人を何度も見たことがある。そういうクセが出てしまう場面が、興味深いのだ。
 韓国人家族が店を出るころ、私は食後のコーヒーを飲んでいた。私のテーブルの右端に座ったのはイタリア人家族だった。夫婦に中学生と高校生の男の子という4人家族。この夫婦、日本風のイメージで言えば、田舎の中学を卒業して上京し、小さな工場で働きながら夜間高校に通っていた若者が、その高校で出会った女の子と結婚して、40歳で独立して小さな工場を夫婦だけでやっている。まじめ一徹、貧しいが清く正しく生きてきたという印象だ。極めて地味な服装のこの夫婦の長男は、耳にいくつも輪をつけて、髪の一部を黄色に染めているパンク少年だ。中学生の弟は天真爛漫で、たえずにこやかにしている。
 こういう家族なら、長男は親といっしょに外食するなんて「やってられるかよ」と、親を無視すると想像できるのだが、その長男は両親と向き合って座っている。それぞれがメニューを手に取ると、誰かが料理のアイデアを出すと、「それいいね」とか、「こっちの方がいいんじゃない?」などとメニューの料理を指さしながら言っている。私にはそのイタリア語はまるでわからないが、そんな気がする。実に和やかで、しかも、いつまでも料理の話が続いている。日本なら、どういう家庭であっても、こういう家族構成で、料理の話をいつまでも楽しんでいるというのは、なかなか考えにくい。
 この家族がどういう料理を注文したのか確かめたかったのだが、話がいつまでも続き、とっくに食べ終わっている私は、そろそろ店を出ないと居心地が悪くなっていた。長い討論の結果注文した料理を見たい。そして、人が食べている姿を見ているのも好きなのだが、時間切れとなって、その家族の食事風景を見ることなく店を出た。
 私は、いわゆる美食、「美味しんぼ」的美食や、グルメ評論家的美食にもほとんど興味がない。「自然の持ち味を生かし・・・」とか、「ミシュランの3つ星店で修業した料理人が生み出す絶品」とか、「3か月先まで予約が取れない店」といったマスコミが大喜びする評判には、まったく興味がない。食材のウンチクにも興味がない。私は、人が食べている光景を眺めているのが好きなのだ。


 本文とは関係ない店だが、ここは前菜だけ食べ放題で、だから前菜だけで満腹した。昼時を避けるから、客を観察する機会は多くない。