1115話 イタリアの散歩者 第71話

 アリベデルチ

 ローマのトラム(路面電車)が止まる。人が降りる。そのとき、降りる人と残る人が、「アリベデルチ!」と言葉を交わす。大昔に聞いたイタリア語を実際に耳にして、ちょっと感動的だった。
 大昔に、「アリベデルチ・ローマ」(さよならローマ)という歌がはやった。それで、アルベデルチが「さよなら」という意味だと知ったのだが、それはいつで、誰の歌だったのかは、まったく覚えていないが、多分、それが初めて覚えたイタリア語だろう
 「ローマの休日」(1953)の、柳の下のどじょうなのか、1957年イタリアとアメリカの合作映画”Seven Hills of Roma” が制作された。イタリア系アメリカ人のオペラ歌手、マリオ・ランツァ(Mario Lanza)が主演した映画だ。イタリア語のタイトルは”Arrivederci Roma”で、同名の挿入歌がある。この歌がアメリカで大ヒットして、日本でも少しはやった。岸洋子ザ・ピーナッツなどが歌った。それが、幼い私が耳にした「アルベデルチ・ローマ」だ。あのころは歌の寿命が長かったから、1957年からだいぶたって、この歌を聞いた可能性はおおいにある。
 https://www.youtube.com/watch?v=inNBar1Yzdk
 後に音楽の世界史を考えるようになって、この歌はもしかして1960年のローマ・オリンピックの宣伝歌だったのかもしれないと想像した。時期的にはその可能性がありうるが、真実はわからない。
 東京オリンピックのころに、またしてもイタリア語がタイトルについた歌が発表され、これは大ヒットした。いきさつはこうだ。ザ・ピーナッツが「東京たそがれ」を発売したのが、1963年。翌64年、東京オリンピックの年に来日したイタリア人歌手ミルバが、この歌を日本語でカバーしてヒットした。そこで、本家のザ・ピーナッツも「東京たそがれ」をちょっと曲調を変えて、ミルバのイタリア語タイトル「ウナ・セラ・ディ東京」(東京のひと夜)に改めて、64年に発売しなおした。この歌の誕生については、作詞の岩谷時子が語っている。
 https://www.youtube.com/watch?v=uX1TkQK83Qg
 このアジア雑語林1102話で書いたように、1950年代末から1960年代はイタリアの歌がイタリア以外でも大ヒットしていた。今ふと思い出したのは、「チャオ・チャオ・バンビーナ」(ドメニコ・モドゥーニョ、1959年)というのもあったなあ。
 さて、話は、私が最初に覚えたイタリア語、「アリベデルチ」に戻る。イタリア語の「さよなら」はいくつもある。イタリア人との雑談で得たことを書いてみる。
 親しい者たちが日常的によく口にするのは”Ciao”。チャオは、「こんにちは」でも「こんばんは」でも「さよなら」にもなる便利なことばだ。スペインでもこの語を使うが、「さよなら」の意味しかなく、会ったときに使うのは”Hola”オーラだ。
 Arrivederciを簡単に説明すると、[ri―再び]、[vedere―会う]でできている語だから、中国語の「再見」であり、英語の”see you again”だろう。
 イタリア語のaddioは「神の元へ」というのが元の意味だから、軽い別れのことばではない。今生の別れ、もう一生会えないかもしれない別れの言葉なのだ。スペイン語のadiosは、スペインでもアメリカでも、「じゃあね」程度の意味でも使われている。
 ローマに来てすぐはそれほどおもしろいとは感じなかったが、毎日散歩しているうちに、しだいに愛着を感じる街になった。今度はベネチアをゆっくり散歩したいなどと思うようにもなった。多分、また行くような気がする。
 というわけで、私はイタリアに対して、「アリベデルチ」と言っておこう。また行く可能性はある。


 ローマのフィウミチーノ空港(別名レオナルド・ダ・ビンチ空港)で、残ったユーロで朝食。コーヒーを飲みたかったが、ピザ店にはコーヒーはないというのがイタリアの常識。そこで生まれて初めてこういうコーラを飲んだ。通常はコーラを飲まないので、ビン型のペットボトルが日本にもあるのかどうか知らない。それはともかく、これが今回のイタリアで最後に口にしたものである。滑走路をバックに撮影したかったが、強烈な逆光となるのでこういう構図になった。