1126話 ダウンジャケット寒中旅行記 第10話

 行ってらっしゃいませ
 コルドバの小さな宿に荷物を置き、カギをカウンターに置いて散歩に出ようとしたとき、背後から「行ってらっしゃいませ」という日本語が聞こえた。振り向くと、彼女が微笑んでいた。この宿のスタッフのひとりで、地元の学校を卒業してここで働いていると言っていた。
 散歩を終えて、宿でカギを受け取るときに、ちょっと雑談をした。彼女は日本に興味を持っていて、独学で日本語を勉強しはじめたところだという。教科書は小津安二郎の映画とジブリのアニメだそうで、「行ってらっしゃいませ」というのは、小津映画で覚えた日本語なのだが、若いスペイン人女性に古い日本語を使われると、ちょっとくすぐったい気がする。
 2年前にマドリッドの書店で出会った若い店員は、日本に興味に興味を持っていると言っていた。今はラーメンに凝っている、いつかラーメンを食べに日本に行きたいと言った。「もし、日本に来たら、ラーメンをごちそうしますよ」と言って名刺を渡した。翌年、「日本に行ことになりました」と、その書店員からメールが来たが、私がイタリアに行く直前だったので、ラーメンをごちそうできなかった。今年2月、またマドリッドに行ったので、その本屋に行くと、見知らぬ店員が、「彼女は今イタリア旅行をしています」と言った。
 マドリッドの観光案内所で、街から空港までの交通手段に関する情報を教えてもらった。20代半ばの女性職員は、ひと通りの説明を終えた後、「ところで、どちらからいらっしゃいました?」と聞いた。観光案内所ではよくあることなのだが、どの国の人間が案内所にきたかという調査だ。
 「日本です」というと、「今、日本語を勉強しているんです。今日も夕方、学校に行くんです。まだひらがなとカタカナの勉強を始めたばかりですけど・・・」と一気にしゃべり始めた。勉強を始めたばかりの日本語を使う旅行者に出会えたのがうれしそうだ。
 「なんで日本語を?」と聞くと、「よくわからない文字って、おもしろいじゃないですか」
 成田空港からの電車では、隣りに座っている男女がスペイン語を話しているのはわかっていた。隣りの若い女性が、突然、本を読んでいる私の肩をツンツンとたたき、振り向いた私の顔をじっと見つめた。「私よ、会ったでしょ?」という顔で見つめているので、さて、会ったことがある人かなあと考えていたら、彼女は私が手にしている本を指さし、「それは中国語ですか、日本語ですか?」と英語で聞いた。それをきっかけに、日本語とスペイン語の話をちょっとした。
 「スペインには行ったことがありますか?」と、その隣に座っている男がきいてきた。
 「ええ、何度も。北はバスクから南のアルヘシラス、東はジローナから西のビーゴまで。今回は、今まで行くチャンスがなかったコルドバグラナダへ行きました」というと、若い女はうれしそうだった。
 コルドバグラナダという地名が彼女を刺激したらしい。
 「わたし、今、バルセロナに住んでいるんですけど、故郷はアンダルシア。大好きなんです、アンダルシアが・・・・」と目をうるませた。「太陽と情熱の国 スペイン」というポスターにぴったりの顔つきと表情をした美人だった。彼女も、日本語を勉強したいと言った。


 観光地区の外側のコルドバ。生活するには快適そうだった。

 メスキータの南のローマ橋の上。赤いのはロウソク。

 

 コルドバでは、公園の木も街路樹のオレンジだった。空気が乾いた暑い午後は、このオレンジをもぎ取って、ジュースを吸いたくなった。

 コルドバの路地を曲がると、こういう彫像にも出会う。日本語を学んでいる宿のスタッフは、「この街が大好きだから、多分、一生ここで暮らすと思う」と言った。「そんなにいい街?」と聞いたら、「夏の暑さを除けばね」と言った。「夏は、暑くて死にそうだもの」。

 マドリッドのマヨール広場に、観光案内所がある。ここで小冊子をもらって、博物館や美術館などの企画展の情報を得る。