1146話 私は保守なのか


 さまざまなことを考えてみても、私は保守趣向の持ち主だと思うことがある。もちろんテーマによりけりなのだが、「今まで通りに」というのが好みに合っているように思う。
 例えば、日本語だ。流行語、あるいは今的表現のようなものが大嫌いだ。例えば、ズボンを「パンツ」といい、いままでパンツと呼んでいたものをわざわざ「下着のパンツ」などと回りくどい言い方をしたりするファッション馬鹿が許せない。あるいは明らかにスパゲティーの話をしているのに、その総称である「パスタ」と言い換えたがるパスタ馬鹿。これは野球の話をしているのに、野球とは呼ばず「スポーツ」と言い換えたがるようなものだ。あるいは、「あいつ、俺より1個下だから・・・」などという表現。「マジ、ヤバッ!」といった表現も嫌だ。「それは、あんたが年取ったから若者言葉になじめないんだよ」という人がいるかもしれないが、それは違う。私が子どもだった頃から、流行りの言葉遣いが嫌いだった。流行語を口にして得意がるヤツらが嫌いだった。自分が若者だった時代から、若者言葉が嫌いだった。そういえば、キラキラネーム馬鹿も嫌いだし、やたらに英語を混ぜてしゃべる英語馬鹿も嫌いだ。
 食べ物に対する趣向も保守的だと思うことがある。世界のさまざまな料理を食べようとはするが、子供の時から食べてきた料理はそのままがいいと思う。アイデア料理など、「ヘッ!」と思う。例えばコロッケは、昔のままの肉屋のコロッケがいちばんうまいと思う。カボチャコロッケだの、カニクリームコロッケやカレーコロッケなど、食べたいと思ったことは一度もない。洋食屋のコロッケ定食など、まず注文しない。チーズやホウレンソウなどを入れた「変わり餃子」などと言うのもあるが、食べてみたいとは思わない。
 もはや保守的とは言えないかもしれないが、カツカレーというのも嫌いだ。トンカツもカレーも好きだが、揚げたてのトンカツは、ソースで食べたい。名古屋に行ったときに、一度は試してみようとみそカツを食べてみたが、二度と食べないと決心した。
 考えてみれば、カレーに何かがのっているというのが嫌なのだ。カツカレーが嫌いというだけでなく、エビフライでもなんでもカレーに何かをのせてあるのが嫌なのだ。だから、COCO壱番屋には行かない。かつて一度行ったことがあり、トッピングというのが嫌いで、肉片カレーを食べてみたが、この店のカレーそのものが好みに合わないことがわかった。
 ただし、カレーそのものも昔がいいとは思わない。スプーンがコップに刺してあるそば屋のカレーとか、給食でおなじみの真っ黄色のカレーなどを、私は好まない。スパゲティーナポリタンはまだしもミートソースはそもそも食べたいと思ったことがない。スパゲティーはイタリア式がいい。
 昔ながらがいいという例はまだあるな。おにぎりはシャケ、焼きタラコ、梅干しが私の好きなベスト3で、世間では人気ナンバーワンのツナマヨが嫌いだ。
ラーメンも昔ながらがいいかというと、まったく違う。中華そばとか支那そば(「しな」が正しく変換されないのは大問題だ)と呼ばれていた時代の、渦巻き状の雷紋の丼に、チャーシュー、シナチク、ホウレンソウ、ナルト、のりなどのうちどれかがのっている醤油スープのラーメンは好きではなかった。札幌みそラーメンが登場するまで、ラーメンはほとんど食べたことがない。そののち、博多ラーメンの時代になり、ラーメンをときどき食べるようになった。
 すべてに対してというわけではないが、私は「流行に乗る」というのがどうも嫌いなのだろう。だから、ヒットチャートというものにはまったく興味がない。内外の音楽のベストテン番組は見ていないし、「流行っているから、そのレコードを買おう」という消費行動もない。Jリーグが話題になっても、にわかサッカーファンにもならなかった。ベストセラーの本も買わない。おもしろそうな本は、かつては古書店で探し、いまではネット古書店で探すことが多い。
 私は、そういう人間です。