1167話 桜3月大阪散歩2018 第21回


 博物館とNHK

 ほぼ10年ぶりに大阪くらしの今昔館(天六天神橋筋六丁目のこと)に行った。入ってすぐに、米朝師匠の名調子で昔の大阪話が聞こえてきて、懐かしい。展示に変わりはないだろうという予想通り、特に変わったところは気づかなかったが、展示以外に大きな変化はあった。行列ができるほどの人気で、そのほとんどが外国人だ。ざっと見渡して、中国語人(中国、台湾、香港、マレーシア、シンガポールなどから来た人たち)が多そうだ。魅力の原因は、着物サービスだ。500円で着物のレンタルと着付けをしてもらえる。その姿で、再現された江戸時代の大阪で、記念撮影というわけだ。つまり、ここは大きな写真館というわけだ。
 この博物館で私が大好きなのは、建築からみた大阪の現代史の展示だ。なかでも戦後の住宅難のときに現れた木炭バスを再利用した住宅の模型展示がすばらしい。住まいから見た大阪人の暮らしは、じつに興味深い。『1970年大阪万博の時代を歩く』(橋爪紳也洋泉社、2018)に、その当時の写真と解説がある。
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 陶器製の便器は幕末に姿を見せた。それまでは、このような木製だった。

 次に大阪城近くの大阪歴史博物館に行った。天満橋筋を南下すれば、1時間もかからずに着く。ここもすでに来ているが、近現代の展示がいい。音声ガイドの機械を借りて見たので、たっぷり数時間かかった。カネと手間がかかった展示なのだが、大がかりな展示をしてしまうと、なかなか改装できなくて、いつも同じ展示になってしまうのが難点だ。


 昔の店。野菜も魚も、客に対して直角に配置するのが大阪スタイルだ。

 大阪歴史博物館は隣のNHK大阪放送局のビルと1階部分が共用ロビーになっていて、その一角でNHK大阪制作の朝の連続ドラマ紹介をやっていた。1作を数分の紹介ビデオを見ることができるので、つい見始めてしまった。朝からふたつの博物館を見て歩き、そのあとはビデオの立ち見だ。椅子くらいは用意しておいてほしかったが、私のように全作品を見る者などほとんどいないから、椅子がないのは当然なのだろうが、1時間以上の立ち見である。
 NHKの朝のドラマは、専業主婦か定年退職者でもなければ、毎日欠かさず見ることができない。今なら録画して見ることはできるが、昔は放送時に見なければいけない。
 朝の連続ドラマを、全回のほとんどを見たのは「おしん」だけだ。アジアの人たちが熱狂的に支持しているという話をなんども聞いていた。タイの大歌手プムプアン・ドゥアンチャンが、「私の人生は、おしんのようなものでした」というインタビュー記事を読んで、何とかして「おしん」を見てみたいと思っていた。ちょうどそのころ、放送後何年もたってから一挙再放送をすると知り、慌てて録画したのだが、第一回目の放送は録画できなかった。日本のドラマ「おしん」を、アジアの女性たちが「自分の物語」として見ていたことがよくわかった。旅行しているだけではわからなかったアジアが、テレビドラマを見てよくわかった。旅先の光景を思い出してみれば、子守の少女やお針子や露店や行商や女中など、今もおしんと同じような生き方をしている女性たちを見かけた。趣味の問題なのだが、私は絶景に身を置くよりも、市井を漂っていたい。
 NHK連続テレビ小説リストがこれ。その大阪NHK制作作品の話をする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E5%B0%8F%E8%AA%AC
 1999年の「あすか」は、全く知らない作品。竹内結子が和菓子職人になる物語のようだが、えらく化粧が厚いのが気になった。菓子職人の厚化粧はいけない。
2003年の「てるてる家族」は、タイトルは聞いたことがあったが、内容はまったく知らない。ここでビデオを見て、世間的にはまだほとんど知られていない時代の上野樹里石原さとみが出ていたと知った。朝の連続ドラマに出演した無名の新人俳優が、のちにブレイクするという例はいくらでもあるが、それは女優の成功例であって、男優の影は薄い。このドラマシリーズ最大のヒット作「おしん」でも、おしんの夫を演じた役者はその名前さえ忘れられている。
 2006年の「芋たこなんきん」は、放送当時やっと数回分見た。私は言葉に強い興味があるので、ドラマの方言はできる限り地元そのままでやってほしいと思っている。関西以外の出身の役者が、奇妙なアクセントで関西弁をしゃべっているのは耐えられない。その点、田辺聖子原作のドラマを、藤山直美と國村準の掛け合いでやるのだから見事だったが、毎日見る余裕はなかった。ちなみに、私が知る限り、関西人に大ヒンシュクだったのは「極道の妻」、なかでも岩下志麻の関西弁のひどさは語り草になっている。
 そんなことを考えながらドラマ紹介のビデオを見ていたら、外はすっかり暗くなり、ついでだから夜の大阪城に行ってみたくなった。この1年で、ちょっと変わったのだ。


 右手は、旧中部軍管区司令部で、2017年10月に商業施設MIRAIZA OSAKA-JOというものに変わった。ローマ字表記がそんなに偉いのか、大阪人!

 大阪城公園はやたらに広いから、日が暮れるとちょっと怖い場所もある。