1172話 大学講師物語 その1


 ヒマなライター


 サラリーマンの経験がないから、サラリーマン用語にもなじみがない。「御社・貴社」という語を使ったことがない。「NTTさん」のように社名に「さん」をつける用法になじみがない。有給休暇とか休日出勤も、転勤や人事異動も、もちろんその意味は知っているが、フリーライターの身には縁がない。そんな私が、サラリーマン用語に出会うことになった。定年退職である。
 立教大学の教員の定年は、講師も教授も65歳である。1年契約の講師には定年などないと思っていたのだが、あったのだ。講師の私も65歳で定年を迎えたが、「代わりがいない」という理由で1年延長されたが、「定年をしっかり守れ」という文科省の指導もあって、今年で定年退職することになった。任期は来年の3月末日までだが、私の授業は4月から7月までの春学期だから、成績評価の仕事がわずかに残っているものの、今年の講師の仕事はすでにほとんど終えている。
 あれは2004年の秋だったと思う。天下のクラマエ師こと、旅行人の蔵前仁一さんと電話で世間話をしていた。どちらから電話をしたのかとか、どんな用件だったのかなどなにも覚えていない。蔵前さんはうんざりしているかもしれないが、私は彼と雑談をしている時間がたまらなく楽しいのだ。「そろそろ電話を切らないと迷惑だろうな」とは思うのだが、ついつい話を続けてしまう。そのときの雑談の中で、彼はこんなことを言った。
 「あっそうだ、さっき、『立教で授業をやらないか』って電話があったんだけど・・・」
 「やればいいじゃない。適任だと思うよ」
 蔵前さんは、難しいことを易しく説明する高い技術と知識を持っている。
 「冗談じゃない。めんどくさいよ。だから、すぐに断ったよ」
 その数日後、私のもとに「立教で、授業をやる気はありますか?」という電話があった。それで、輪郭線が見えた。こういういきさつだと想像した。
 2004年10月に、3回にわたって立教大学公開講座が開かれた。テーマは「旅を書く」。講師は講演順に、下川裕治、前川健一、蔵前仁一だった。確認をとっていないものの、この講演は、講師を決める模擬授業だったのかもしれないと思う。つまり、試験だ。これも確認を取っていないのだが、大学は下川氏に講師を依頼して断られ、次に蔵前氏に依頼し(これはわかっている)断られ、前川に話が来たようだ。そして、前川が引き受けた。
 私は大学の授業の経験などまったくない。大学だけでなく、どういう学校での授業体験もない。それなのに講師を引き受けたのは、自信があったからではもちろんない。ヒマだったからだ。1年は春学期と秋学期の2期に分かれていて、そのいずれかの学期に十数回の授業をやる。成績評価の仕事も含めて半年間は拘束される。毎週の授業だから、半年は最大6日までの旅しかできない。そういう詳しい事情は後になってわかることだが、ある程度時間の拘束があることは想像できた。それでもいいと思った。ヒマだから、旅行時期を移動すればいい。
 私は、何か新しいことがしたかったのだ。いままでやったことがない体験をしてみたかった。講師の仕事を引き受けたのは、「なんだか、おもしろそうなことが始まるかもしれない」という期待感だった。それが2004年秋のことで、2005年4月から立教大学観光学部兼任講師となった。