1177話 大学講師物語  その6

日本語の書式


 2005年にどういう授業をやったか、記憶も記録もない。どれだけの学生が履修したかという記憶もないが、多分100人くらいだったと思う。その後、最大で300人弱くらいまで増えたこともある。2017年は240人くらい履修したが、大量にD判定(不可)の成績をつけたせいか、今年は160人くらいに減った。私は大教室が嫌いなので、出席を取らないことで出席者を減らし、学生が少なくなったところで、小教室に移動することにした。出席をとると、話を聞く気がない学生も仕方なく出席する。すると、私語、スマホ遊び、飲食、化粧、昼寝の場となる。そういう学生はいないほうが楽しく授業ができると思ったので、出席を取らないことにした。ただ、文科省の指導と世の中の趨勢は、厳しく出席をとるという方向になっているので、出席をとらない授業は少数派だろう。教室にタッチパネルを設置する自動出席記録機を導入している大学がかなりある。学生証かスマホをパネルにかざして、出席の証拠を残すのである。幸せにも、立教では導入していない。
 トラベルジャーナリズム論として、どういう授業をやろうかいろいろ考えた。
旅行ガイドブックの国際比較というのは、非常に興味深い。フランスの旅行ガイドは、中国で出版された中国語版と、イギリスで出版された英語版と、ドイツで出版されたドイツ語版と、日本語版では、どんな違いがあるのかといったことには強い興味がある。しかし、知りたいのは私で、授業をやるだけの能力が私にはない。中国語のフランスガイドを解読するなら、中国語がよく読めるのは当然だが、中国人の欲望や関心の方向といったものもわからないとガイドブックの文章が解読できない。中国語のガイドブックで紹介されているホテルや商店やレストランと、読者である中国人旅行者の好みや性癖との関係を理解していないと、ガイドブックの解読にはならない。だからガイドブックの国際比較というちゃんとした資料がないのだ。『旅行ガイドブックの民族学』といった本を読みたいなあ。
 毎回90分の授業で、旅行記や滞在記を1冊ずつ取り上げるのは、学生にとって退屈だろうなと思った。どういう授業をやればいいのだろうかと考えたが、手本にしたい授業を知らないので、適当にやることにした。
 授業の出席やレポートのことなどについては、このブログの744話から8回にわたってすでに書いている。重複する部分もあるが、授業の話をまた書いてみよう。
 1年目の授業を終えて、2年目以降の方針のひとつが決まった。「日本語を書く」だ。成績はレポートで100%決める。出席点はない。私の授業に皆勤賞はない。教室でただ座っているだけで単位がとれるというのはおかしい。小テストもない。レポートだけだ。そのレポートを初めて読んで愕然とした。まともな日本語の書式で書けない学生が四分の一、25%もいたということだ。
 書き始めの1字下げを知らない。字下げをしない学生がいると同時に、改行のたびに4字とか10字あけて書き出す者もいる。句点「。」を知らない者はいないが、読点「、」が極端に少ない者がいる。1行40字で3行読点なしというのもあった。改行するたびに1行か2行あける者もいる。まるで箇条書きである。それとは逆に、字下げなし、読点極少、改行なしで40行というのもあった。紙面は真っ黒である。
 小学校1年生から教科書の文章は読んでいるはずなのに、書くとなるとスマホ書式になってしまう。レポートに絵文字を入れてくる者があるかと危惧したが、幸いなことになかった。句読点は小学1年生で習う。それと同じ授業を、大学の3,4年生相手にやらなければいけないのが現実なのだと知った。
 留学生は日本語学校などで「きちんとした日本語」を学んでいるので、文章に問題はなかった。いや、内容のレベルでも、最初の5年ほどは留学生のレポートは毎年ベスト10以内に入っていた。日本育ちの学生と違って、異文化を知っているから強かった。