1185話 大学講師物語 その14

 私の旅行史研究 (2)


 観光学(Tourism Studies)とは、観光でいかに金儲けするかを研究する学問だと思っている。観光関連業者の収益増加と、国家や地方自治体の観光による増収の方法論を研究するのが保守本流の観光学だと私は思っている。旅行研究とはだいぶ違うのだ。観光学の研究対象は観光そのものであり観光客(主に団体観光客)だから、旅行や個人旅行者は研究対象には入らない。入れたとしても、主流にはならない。例えば、「旅と食」というテーマなら、ある土地の名物を探し出し、作り上げ、いかに売るかという研究だ。食べ物をいかに名産・名物にするかという研究で、旅行者の食事事情は研究対象にはしない。日本を出た旅行者がどういう食べ物を拒絶し、あるいは熱愛するかといった食の異文化対応の研究は、観光関連業者の利益と直接結びつかないから、その方面の研究報告をほとんど読んだことがない。
 私の関心は、観光旅行ではなく、団体観光客でもない。観光でどうやって、あるいはどれだけ稼げるかということは私の関心の外にある。「観光が悪い」と言っているのではなく、私の興味の外にあるということだ。
 立教の観光学部には、観光研究の観光学科と異文化を学ぶ交流文化学科がある。私の授業はどの学部の学生でも受講可能にしているが、「観光旅行」そのものはほとんど扱わなかった。別の言い方をすれば、観光業界とは遠い位置にいたということだ。旅行史研究で個人旅行者があまり対象にならないのは、観光関連業者と縁が薄いからかもしれない。ということは観光学とも遠いということだ。
 旅行史を若者の旅で考えようと思った。貴族の子供ではない、あまりカネを持っていない若者の旅から研究を始めたのは、観光業者が関与しない旅を調べたかったからだ。前史として、巡礼やグランドツアーを一応は押さえておくが、出発点はドイツと一部フランスでもいた(今もまだ少数いるが)、遍歴職人である。中世から始まるのだが、見習い修行を終えた職人の卵は、諸国をめぐり、仕事を探し、腕を磨く。移動手段は徒歩。3年間、そういう修行をして、親方(マイスター)になるという修行方法だ。学生も学者も諸国を巡って学んだ。基本的に、ドイツあたりには「旅は人を鍛える」という思想があったようだ。本来ならゲーテなどを徹底的に学ばないといけないのだろうが、私には根気と教養があまりにも不足していた。
 ドイツにはまったく興味がないから、行ったことがない。ドイツの本も読んだことがなかった。しかし、遍歴職人のことを調べるために、中世のヨーロッパやドイツ関連の本を買い集めた。そして、遍歴職人に続く若者の旅、ワンダーフォーゲルユースホステル活動の歴史を知り、ドイツ現代史の本を買った。時代的には、19世紀から20世紀初めに若者の旅の動きが活発になり、イギリスではボーイスカウト活動もあった。
 アメリカの場合は、ソローの『森の生活』から勉強を始めることにした。旅するアメリカの若者の精神的支柱でもあったからだ。初めからその確信があったわけではない。自然賛美とか市民的不服従など、1960年代のカウンターカルチャーの思想的背景がソローだったとわかって来て、勉強がおもしろくなった。
 1950 年代のビート世代、60年代のヒッピー、そして、80年代あたりからのバックパッカーの歴史を調べてみたくなったので、部屋はたちまち資料の山になってしまった。
 ここではヘンリー・デイビッド・ソロー(1817〜1862)のことをちょっと触れておく。ソローが書いた『森の生活』は、さまざまな旅行記に登場する。この本はアメリカで1834年に出版され、日本では戦前の1934年の新潮文庫が初訳らしい。戦後は1948年の養徳社版以後多くの出版社から発行されているロングセラーだ。日本人の旅行記を読んでいると、火野葦平は『アメリカ探検記』(1959)でゆかりの土地に行っていることがわかる。小田実は『何でも見てやろう』(1961)で「ソローゆかりの地訪問は苦手だ」と冒頭部分で書いている。そして、アラスカで餓死した若き旅行者を書いたノンフィクション『荒野へ』(ジョン・クラカワー、1997)でも、1990年代にアメリカを放浪していた若者が持っていた本にソローに関する書き込みがあった。日記の文章を読むと。その若者が熱心にソローを読んでいたことがわかる。
 授業がない秋から冬は、そういう調べ物をしていたのである。資料がどんどん集まっていった。