1189話 大学講師物語 その18

 異文化体験を想像する


 今年のレポートも異文化体験を想像するというスタイルにした。具体的にはこういうものだ。

 モンゴルの草原で2か月間ホームステイをすることになりました。モンゴル人家族とともにゲルで暮らし、牧畜を手伝い、モンゴル語を学びます。ゲルは、電気・水道なし、スマホ圏外です。まず、モンゴル人の生活をよく調べて頭に入れ、そこで自分が過ごすと、あなたの頭と体はどういう変化を起こすでしょうか。その想像の異文化体験を2000字で書きなさい。

 このレポートテーマには、いくつもの要素が入っている。「モンゴルの生活を書きなさい」だと、学生は資料の引き写しをするしかない。そんなものを読んでもおもしろくない。学生にコピペさせるようなテーマを与えてはいけない。だから私は、モンゴルで生活する自分を想像せよというテーマを与えた。自分に受け入れられる事柄と、なじめない、あるいは拒絶する事柄、そしてどうしても必要な事柄などを考えてもらおうというのが私の出題趣旨だ。
 その場所をモンゴルとしたのは、モスクワだろうがサンパウロだろうが、大都市なら日常生活の生活落差はそれほど多くないと思った。アマゾン奥地やニューギニア山中だと、落差があまりに大きく、レポートがほとんど同じになるだろうと思った。モンゴルの草原だと、基本的に肉とミルクの食生活で、電気水道なし、風呂トイレなしなど日本人には障害が多いが、食い物は充分にある。だから、「異文化のなかの自分」を考えるにはちょうどいいかと想像したのである。
 いままでレポートは1000字程度だったが、今年は2000字にした。1000字だとそれほど想像力(創造力)を発揮しなくても書けそうだが、2000字となると、モンゴルの生活をしっかりと頭に入れ、そこでの自分をじっくりと考えないと書けない。学生にとって、想像で2000字の文章を書くというのはちょっとした負担だろうと思った。その負担を回避する方法があるので、レポートテーマ発表時に、こう釘を刺しておいた。

 モンゴルの説明は必要ありません。長々と説明して行数を稼がないように。

 想像の文章が書けないと、ネットにいくらでもあるモンゴル情報を取り込んで行数を稼ごうという学生が多く出てきそうな予感がして、こういう注意書きを書き添えた。それにもかかわらず、注意を無視するかのごとく、モンゴルの気候だの歴史だのモンゴル語の説明を書き続けたレポートが数多くあった。したがって、そういうレポートはD判定(不可)である。本にもネットにもない話を自分で書き上げるというのは、難易度が増す。だから、こういうレポートにしたのだ。
「なんだ、つまらん」と言いたくなるレポートが3割くらいあった。ひとまとめにすれば、こういう文章がレポートの最後の部分にある。

 「最初のころは、私にとってはつらい異文化体験でしたが、滞在するうちに慣れてきて、モンゴルを去るころには楽しい思い出に変わっているでしょう」

 なんだよ、このとってつけたような終わり方は。つまらん。友人の教授によれば、こういう結論は就活の学習成果なのだという。企業の人間が納得するありきたりの、もっともらしい結論というのが、就職試験の必勝法なのだという。ダークスーツを着た人間に、リクルートスーツを着た学生が発する文章あるいは話は、こういうきれい事がぴったりなのだろう。気が重くなる。こういう結論だからと言って減点することはないが、けっして加点はしない。
 モンゴルでの滞在地を「スマホ圏外」としたのは、日本との関係を一定期間断つとどう反応するのは知りたかったからで、案の定「スマホ依存症」患者からの苦痛の声が寄せられた。それでわかったのは、繋がらないスマホは何の役にも立たないと思っていることだ。「写真が撮れない」とか「音楽が聴けない」、「果ては、時間がわからない」といった苦情が書いてあって、スマホを持たない私を驚かせた。電気がなくてもソーラー式携帯バッテリーなどを持っていけば充電はできる。インターネットにつながらないだけで、音楽を聴くことができるし、写真も撮れる。どこにでもコンセントがある環境にあると、コンセントがないと充電できない、だからスマホはまったく使えないと考えてしまうらしい。
 「スマホが使えない」ことは嘆いても、真正面から孤独感を考えた学生は極めて少ない。その数少ない学生は、いままでにひとり旅をしたことがあったり、留学を経験していたりして、外国での孤独感を実体験していることが文章からわかる。だから、話し相手がいない、周りの会話が理解できないという孤独感は、わざわざ想像しなくても、はっきりと記憶している。言葉が通じないというのを「不便だ」とは理解しても、「孤独だ」という想像がないのは、いままで何度か外国旅行をしていても、日本人と一緒だったからだろう。
 こうした異文化体験を想像するというレポートを、いままで何度かテーマにしたことがあったが、興味深いことに、「なんとか対応できる」という趣旨よりも、「そういう異文化には対応できない」という趣旨のほうが、内容的にも文章力でも優れているのだ。「どんな異文化でも、努力すれば克服できる」とするおりこうさんのレポートは、総じて出来が悪い。ろくに現地事情を調べなくても、肯定的な文章は書けるからだ。
 考えてみれば、本や映画の評価でも、「あー、おもしろかった」と書くなら、ネットの書評や広告を見るだけで書ける。しかし問題点を指摘しようと思えば、ほかの資料を読んだり、じっくり考えないといけない。私のレポートも、それと同じように、架空の滞在記を否定的に書くなら、それ相応の準備と文章力が求められるということだ。
 私の成績判定は、異文化に対してどういう態度をとるかで成績を判定はしないので、「モンゴルなんて行く気がしない」という内容でも、その理由がきちんと書いてあれば評価している。
 これが、講師最後のレポートとなった。
 今回で「大学講師物語」は終了します。