1224話 プラハ 風がハープを奏でるように 33回

 建物を見に行く その4 郊外住宅図鑑 前編

 

 宿の近所は戸建て住宅で、日本の郊外の新興住宅街とは違い、ゆったりした敷地に堂々とした家が建っている。夕食前の散歩でそんなことがわかったので、翌日は本格的に住宅散歩をすることにした。地図を見れば、宿から西にまっすぐ進めばブルタバ川に出る。Antala Staska通りは途中でZeleniy pruhと名を変えて緑地に至り、右折左折を繰り返して、Modranska通りに出る。この広い通りはブルタバ川に沿って走り、そのまま北上すればカレル橋などがある観光地区に出る。たっぷり1日遊べる散歩コースになりそうだ。

  以下、「ウチのご近所」の住宅。我が家はこれらよりもずっと小さい。

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 宿からちょっと歩くと、敷地がだんだん広くなり、家も大きくなる。東京で言えば、田園調布や成城学園や松濤だ。窓の向こうは隣家の窓というような日本の住宅密集地とはまったく違う。ここはプラハでは「高級住宅地」としては序の口くらいなのだろうが、日本ならば充分に「瀟洒な高級住宅地」である。

 私の頭の中は、「社会主義国の貧しい生活」というイメージがあり、それはちょっと前の中国のイメージと重なるのだが、この地区の豊かな住生活の歴史的背景がよくわからない。それほど新しい家ではないから、1989年の解放後の成金の家だとは思えない。

 家の正面に立って、迷惑にならないように控えめに、眺める。そうか、わかったぞ。大きな家の入口、門扉のそばに郵便受けがふたつある。親子二世帯同居ではなく、ニ家族同居だろう。初めからそういう形態で作ったのは、イギリスでよく見かけるセミデタッチ・ドハウス(Semi-Detached House)だ。戸建ての家だが、玄関ドアがふたつあり、2軒で使う「ニ軒長屋」で、そういうリフォームをした家もある。あるいは、入口ドアはひとつで、その共用ドアを入ると、何戸分かの家の玄関ドアがあるというリフォームをしてあるのだろうと想像した。

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 上は、南部の小さな街、チェスキー・クロムロフの郊外住宅。二戸一軒のセミデタッチド住宅。

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 こちらは、プラハセミデタッチド住宅。ご近所にはこの程度の家はごく普通にあり、「元社会主義の貧しい国」というイメージは吹っ飛ぶ。

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 有名デザイナーとか芸能人とかの邸宅かと思って近づくと・・・

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 門に郵便受けが4つあった。アパートか。

  チェコに限らず、西洋の都心のアパートは、建物に入る大きなドアを開け、中に入って個々の家のドアを開けるようになっているから、1階と2階で2家族別々に暮らす二軒長屋になりうる。経済的な問題で所有者が「間貸し」に出したのか、それとも中国でもあったように共産党政権に接収されて、一戸建て住宅にいくつかの家族が同居するという例なのか、詳しい事情がわからない。

 この住宅地の家は、ここ10年ほどの間にできた高級住宅もあるが、ほとんどは割と古い。手が入っているから、保存状態はいいが、新しい家ではないとわかる。いつごろの建物なのかどうしても知りたくなって、ちょうど家から出てきた若夫婦に話しかけた。

 「ちょっとお尋ねします。このあたりの家は、いつごろ建ったものですか?」

 「どの家も、50年から60年前ですね」

 うまい英語を話すから、このまま情報収集をしたいと思ったのだが、乳母車を押す妻が車に近づいたので、会話を遠慮した。

 1950年代から60年代に建ったのか。共産党時代でも、こういう家を建てたのだ。党や軍の幹部、上級公務員用の住宅なのだろうか。

 のちに、ここよりもはるかに豪華な住宅地を何か所かで見ている。プラハの北にある動物園に行く途中に見たのは、おそらく解放後に建った新しい高級住宅地だ。チェコ最高の超高級住宅地は、チェコを去る日のバスから見た。地下鉄A線のHradcanska駅からちょっと東に行ったあたり、レトナー公園の北は、戦前までは大富豪が住む邸宅が集まっていて、戦後は大使館街になったという話が、在プラハ元日本大使夫人が書いた『私はチェコびいき』(大鷹節子、朝日新聞社、2002)にあった。この著者夫婦が住んだ日本大使公邸もそこにあった。今も地図を見ると、Na Zatorce通りあたりは各国大使館が集まっている。

 ロシア大使館もここにあり、かつてはソビエト大使館だった。どうやらこのあたりは「ソビエト地域」とも言える地域だ。解放前は地下鉄A線はHradcanskaの次のLeninova駅までだった。レーニンの名を冠したこの駅は、解放後Dejvicskaとなった。

 ちなみに、チェコの戸建て住宅の暖房資料がこれ。

https://yaahoj2005.exblog.jp/1599244/

 住宅写真を多数撮影したので、次回も一戸建て住宅図鑑にする。