建物を見に行く その5 郊外住宅図鑑 後編
郊外住宅を見ていて思い出したのは、日本にも同じ時代があったということだ。昭和戦前期、私鉄沿線の住宅地だ。今の新興住宅地とは違い、大会社のサラリーマンだったり官僚が住む小金持ちの住宅だ。日本建築史を読めば関連資料はいくらでも出てくる西洋住宅で、「応接間」があるのが新しい。例えば、次の論文でもよくわかる。
「京都市における近代化遺産の存続・消失動向について ―郊外の近代洋風住宅を中心に」
http://r-cube.ritsumei.ac.jp/repo/repository/rcube/10762/AR_16_matsuoka.pdf
まずは、市立博物館で展示していた建築資料。
屋根裏部屋付き住宅の構造。
団地建設の風景。詳しい展示資料をメモしておくのを忘れたが、たぶん1950年代か。
以下の写真は、プラハの旧市街から地下鉄で15分ほど、トラムなら30分ほどのところにある地域で、現在ではもはや「新興住宅地」とは呼べないが、第二次大戦後に開発された地域らしい。
日本の不動産広告用語で言えば、「閑静な住宅地」を散歩する。この地区を歩く体力はあるが、建築資料を読み取る知識がないのが悔しい。
住宅の構造は、鉄筋コンクリートの柱と梁にコンクリートかレンガのブロックを積むのだとわかる。現在の住宅は、駐車場を備えている。
上のような構造にレンガを積んで壁を作る。この工法はタイの住宅でも同じだが、壁の厚さがまったく違う。工事現場には、移動式トイレもちゃんとあるなと確認。
こういうデザインが流行る時代と、実際の建築年代が一致するわけではないが、1930年代ころのスタイルではないか?
この家で気になったのは、ちょっとそった屋根だ。丸窓も含めて、なんだか「日本」を感じる。
こういう住宅街は眺めているのはいいが、住みたいとは思わない。
一戸建ての住宅地域を抜けてトラムが走る大通りに出ると、オフィスやアパートが姿を見せるが、ただの、無味乾燥の、コンクリートの四角いビルではない。こういう建物に出会えるから、散歩が退屈しない。