建物を見に行く その11 アール・ヌーボー 後編
プラハを歩けば、「これ、アール・ヌーボーなんだろうな」という建物をいくつも見かけるが、その正体を資料で確認できないものも多い。あるいは、ていねいに調べれば建物の正体を明らかにすることはできそうだが、そういう気になれないほど数多くある。散歩をしていて、気になる建物を見つけたらカメラを構えただけなので、撮影後に建物の正体をいちいち調べていない。プラハに着いて最初に興味をもった建物である国立産院についてはいろいろ調べたが、同じような調査をいちいちやるだけの根気がなくなったので、今回は街角スケッチでしかない。
アール・ヌーボー建築は、19世紀末から20世紀初めの短い期間に姿を見せた。装飾過多の建物が大好きというわけではないが、ゴシックやバロックの重さがない分、好ましい。
まずは、少し正体がわかるホテル・パジーシュ(パリのチェコ語)から。
次は、ゲーテ・インスティチュート(ドイツ文化交流協会)だが、その前身は東ドイツ大使館。チェコスロバキア国民にとって、実に嫌な機関だった。
ここからは、街角スケッチだ。解説なしで写真だけ載せる。
ここは旧市街広場。アールヌーボー建築鑑賞には手っ取り早い場所だ。
再び、街角スケッチ。
これは、プラハ本駅前の建物。
Parizska(パリ通り)は、アール・ヌーボー建築通りでもあるのだが、少々飽きてきているので、手前の広告塔兼公衆トイレを手前に入れてシャッターを切った。
何でもないと思っていたビルや、ビルとビルの間に屋根をつけた通路でこんなステンドグラスに出会うと、息をのんで見上げる。宗教と遠いのが気に入った理由かもしれない。