1232話 プラハ 風がハープを奏でるように 41回

 建物を見に行く その12 インターナショナルホテル

 

 『プラハを歩く』(田中充子、岩波新書、2001)で、インターナショナルホテルという建造物があることを知った。ソビエトの影響を強く受けた「スターリン・ゴシック」とでも呼ぶべき高層ビルなのだという。その新書に載っている写真を見ると、どこかエンパイア・ステートビルのようでもあり、田中充子氏はそちらを「キャピタリズム・ゴシック」としている。米ソの似た体質を表す建造物というおもしろい紹介がなされている。ちなみに、ワルシャワでもスターリンの威光を示す同じような姿の建物がある。文化科学宮殿である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%AE%AE%E6%AE%BF

 チェコスロバキアソビエトスターリン体制の強い影響を受けて、1951年から8年かかって建てた軍用の施設だったらしい。ビロード革命後、レーニン像などソビエト関連の物は次々に取り壊されたが、このホテルはホリデーインのチェーンに入って営業を続けていて、しかも文化財に指定されているという。それならば、プラハを散歩していればそのうちに「ホリデーイン」の看板に出会うだろうと思っていたのだが、いっこうに見かけない。

 ある日、偶然に、そのホテルを発見した。プラハの動物園は市の北の丘にあり、北から街を見下ろせる位置にあるのだが、眼下に『プラハを歩く』で見たことがあるインターナショナルホテルが見えた。市の中心地区に建っているのだろうと思っていたのだが、かなり北だ。バッグから区分地図を取り出して位置を確認すると、プラハ城のずっと北だ。こんな場所だと、散歩をしていて偶然出会うことはない。地図を見ると、トラム(路面電車)で簡単に行くことができるとわかり、翌日の散歩プランができた。

 

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 動物園の丘から、写真で知っているあのホテルが見えた。

 トラムの8、18番の終点近くに、そのホテルがあった。すぐ北のブルダバ川の対岸が動物園だ。のちに調べると、このホテルは現在ホリデーインの手を離れ、ウクライナのホテルチェーン、モーツァルト・グループが経営しているようだ。ホテル予約サイトで調べると、安い部屋だと時期にもよるが7000円台から泊まれるらしい。

「どうだ、このやろう!」と威張りくさっている建築物を前にして、ロビーを覗く気が失せた。入口付近にスーツ姿の警備員らしき男が立っていて、「KGB」という単語が出てくるような雰囲気だったこともあって、外から眺めるだけにした。ここにもタイ・マッサージの看板があった。

 

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 おお、威張りくさった建物だ。脇の出入口にタイマッサージの看板が。内装や部屋を見たい方は、ホテルのHPなどで見てください。

 ホテル向かいの食堂に入った。カウンターに置いてあるメニューを見たが、もちろんチェコ語だけで、「さて、なにを注文しようか」と思案していたら、カウンターの男が、「席でお待ちください。すぐ伺いますから」ときちんとした英語で対応された。食堂のおやじが英語をしゃべるとは思わなかった。窓側の席でポークチョップを食べながら、スターリン・ゴシックのホテルを眺めた。

 

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 粗挽き黒コショウが効いたポークチョップ。肉が固くなっていた。

 プラハ城方面まで歩いてもすぐだから、散歩した。ガラス張りの近代ビルがあった。工科大学だということは看板でわかった。ここを右折すると、写真家田中長徳氏のアパートがあるあたりで、しかもこの地区は高級住宅と軍施設がある場所だと、帰国してからわかった。

 

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 こういう、無味乾燥の、つまらない通りを南下して、プラハ城方面に歩くと・・・

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 プラハ工科大学があった。ガラス張りではあるが、既存のコンクリートビルをガラスや樹脂で覆ったようだ。

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 帰国後,、インターナショナル・ホテルに関する資料を探した。細かいところで誤差があるようだ。『プラハを歩く』では、「1951年から8年がかりで建築」とある。“ドイツで出版された”Prague The Architecture Guide”では、“1953~59”の建築となっている。ウィキペディア英語版では、1952~56年の建築工事で、開業は1957年だとしている。開業当時の名称はロシア語で「友情」を表すHotel Družba次にチェコの観光公社の名をとりHotel Čedok、解放後にHolliday Inn,そして2013年までCrown Plaza Hotelとなって、現在はHotel International Pragueになった。日本の団体客も泊っているらしい。

 よくわからないのは、2001年出版の『プラハを歩く』が、当時のクラウン・プラザホテルではなく、インターナショナル・ホテルの名でこのホテルを紹介していることだ。私の手元にあるのは2016年9刷の版だから、出版後に手を入れたのだろうか。

https://en.wikipedia.org/wiki/Hotel_International_Prague

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