乗り物の話 その8 シュコダ
オーストリア・ハンガリー帝国からチェコスロバキアとして独立する1918年以前から、現在のチェコの地は経済的に、近隣の国々とはまったく違う歩みを進めていた。その象徴がŠkodaだ。Sの上に記号があるから、スではなくシュの音になり、シュコダ。創業者の姓だが、「残念」という意味だ。チェコには、こういう変わった意味の姓があるらしい。シュコダは、日本の三菱財閥のようなものだと理解するとわかりやすい。
1859年、ビールの産地として知られるピルゼンで生まれた会社を、エミル・シュコダが1869年に買収し、軍需品生産から巨大な兵器メーカーになり、発電所、鉱山など次々と手を広げて財閥となる。チョコの近隣諸国は貧しい農業国だったのだが、チェコは19世紀から豊かな工業国だった。その象徴がシュコダというわけだ。
1895年、二人の男が自転車製造会社を作った。ほどなく、自転車にエンジンを付けて売り出し、オートバイメーカーとなった。まるでホンダだ。ただし、チェコのオートバイメーカーは自動車を製造するのではなく、自動車会社を買収しラウリン&クレメントという自動車会社になった。チェコスロバキア独立後も順調に自動車生産をしていたら、1924年に工場が大火災にあい、経営が困難になり、買収されることになった。買収したのが、シュコダというわけだ。シュコダ自動車は自転車とオートバイの生産をやめて、本格的な自動車会社になった。
第二次大戦後、ソビエトの強い影響下で、工業部門は国有企業のレーニン工業会社と名称を変えられた。国有企業となったレーニン工業会社には、自動車製造部門が2社あった。高級車部門のタトラ社と、中級車シュコダを生産するシュコダ・プルゼニ社だ。
1962年、NHK東欧特別取材班はチェコスロバキアを訪れて、自動車工場を見学している。『東欧を行く』(NHK特別取材班、日本放送出版協会、1963)を読むと、こんなことがわかる。
1960年代初めのこの時代、チェコの工業機器を据え付けるために、技術者が日本に何人も行っているという。日本の製品をチェコに輸出するのではなく、日本はチェコの機械を輸入していたのだ。
プラハを歩くと、乗用車が多いことで、「西ヨーロッパのどこかの町にいるような錯覚を起こす」と驚いている。東欧のほかの国の町では、そもそも自動車が少なく、ましてや乗用車はもっと少なく、国産車などまったくないのに、「チェコスロバキアでは・・・」という驚きだ。
しかし、だからといって、国内にはシュコダなど国産車が多く走っているというわけではない。原材料を輸入して、自動車にして輸出するという経済システムなので、製品が国内で消費されると、外貨が出ていくばかりなので、チェコスロバキア人といえども自由にシュコダが買えるというわけではない。社会主義国チェコスロバキアの自動車購入システムはこうだ。購入希望者は、代金を銀行に預け、それぞれが所属する組合に購入希望書を提出する。組合は、その労働者の勤務評定をもとに、順次購入許可を出すということらしい。
1988年から89年のプラハが舞台の小説『コーリャ 愛のプラハ』(ズデニェック・スヴェラーク、千野栄一訳、集英社、1997)では、初老のチェロ奏者とその友人の会話で、ワルトブルグではなくて、せめてトラバントを・・・というやり取りがある。どちらの車も東ドイツ製だ。チェコの自動車生産は、外貨を稼ぐことが主な目的で、国民のためではなかった。
もう一冊資料を紹介しておくと、『チェコの十二ヵ月』(出久根育、理論社、2017)に、こうある。以下の文章の初出は2007年だから、「数年前」は2000年代初めころか。
「数年前のチェコなら、車のイメージといえば年期が入ったロシア製のラダ、東ドイツトラバント、小さなポーランド製のフィアットのポンコツトリオ。荷物をロープで屋根にくくり付け、窓を全開にして、裸の男性が暑そうに片腕を窓にかけて運転している、そんな姿でした。しかし、今やチェコでは国産車のシュコダも急増していますし・・・・」
シュコダはチェコスロバキア製の車だが、国民が乗れるような大衆車ではなかったのだ。
1989年のビロード革命で、国営企業レーニン工業会社は民営化された。高級車や軍用車を作っていたタトラ社は、1998年に乗用車生産から撤退し、路面電車部門もシュコダグループに吸収された。シュコダグループの「シュコダ」車生産部門は、民営化直後、フォルクスワーゲンが100パーセント出資する子会社シュコダ・オートとなった。
レトナ公園北の国立農業博物館は、当然ながら農機具の展示があって、もちろんシュコダもある。
共産党政権下では、東ドイツ製のこのトラバントでも、中古で買えれば幸せだった。いまでも、ごくたまに路上で見かける。
以下、街で見かけたシュコダ。当然ながら、シュコダをこれほど見かけるのはチェコの街しかない。
このエンブレムは、発展を象徴する「羽が生えた矢」。
シュコダ博物は、交通が不便な郊外にある。日帰りはできそうだが、苦労していくほどの興味はなかった。プラハ市内にあれば、たぶん行った。