1257話 プラハ 風がハープを奏でるように 66回 

 ティナと その1

 

 夜9時過ぎごろだっただろか、宿のリビング&ダイニングで、私はひとり、テレビを見ていた。このブログの1217話で書いたように、チェコ音楽事情を調べているときだ。ドミトリーのない宿だから、客数は少ない。シャワーやトイレは共用だが、順番を待つほど混んだことはない。

 ドアが開いて、若い女性が入ってきた。

 「ハイ、ハロー」と反射的に声をかけ、

 「ハロー」と返ってきた。

 それだけの会話だった。彼女は水を飲んで出て行った。アジアの血が入っているような顔つきだが、日本のタレントやモデルに多い、日本人と西洋人の両方の血が入っているという感じではなく、インドネシアなどで時々見かける色白の人で、しかし中国系でもないような、素性がわかりにくい顔つきだった。

 翌日の、まだ早い夜、7時頃だっただろうか。その日の夕食は宿の近くでピザを買い、再びテレビで音楽番組を見ながら食べる計画だった。CMのチェックもしてみたかった。

 

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 ピザ2枚300円ほどの夕食。このピザの向こうにティナがいる。

 

 昨夜の彼女が同じように台所に来て、同じように「ハーイ」と挨拶したあと、料理を始めた。私から声をかけたとは思うが、何と言ったか覚えていない。多分、「今夜のメニューは何?」とでも言ったのだろう。彼女は料理をしながら、私はピザを食べながら話し、そして彼女は食事をしながら私はコーヒーをもう一杯作り、引き続きいろいろな話をした。以後、私がプラハを離れるまで、毎夜こうした雑談会が続いた。

 「旅行者なの?」

 「いえ、勉強しています」

 「留学生?」

 「いえ、ベルギー大使館でインターンシップをやりながら、自分の研究をしています。いずれ書く論文のための調査です」

 「大学生なの?」

 「大学院の修士課程です。専攻は国際関係論ですが、修士論文はバチャをやろうと思っているんですが、これが大変で、世界のいくつかの会社とコンタクトを取ろうとしてもタライ回しにあって、取りあってくれないんですよ、まったく!」

 バチャというのは、世界的な靴メーカーで、チェコで生まれた会社。チェコ語ではBaťa と書き、tの上に記号があるのでバタではなくバチャと発音する。チェコ以外では記号を取ってBataと書きバタと呼ばれる。複雑な歴史があるのは、私も調べたことがあるからわかる。

 もう40年近く前になるが、バタはインドの会社だと思っていた私に、「インドじゃなくて、たしかチェコで生まれた会社ですよ」と教えてくれたのが知の巨人松岡環師(本当にいろいろ教えてもらった)だ。のちにインターネットの時代に入り、気になってちょっと調べたことがあった。

 その複雑な歴史に興味のある人は、ここで。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bata_(company)

 彼女はステーキを焼きながら、長めの自己紹介をした。初対面の人に対する礼儀だと考えている育ちの良さからなのか、それともその顔つきからいつも出自を聞かれるから自分から先に話してしまおうと考えたのだろうか。

 彼女はベルギーの大学院生。父はベルギー人、母はマダガスカル人。名はティナ。クリスティーナの省略形。

 「そうか、わかった。マダガスカルにはインドネシア方面から大勢やって来た歴史がある。だから、アフリカだが、アジア人の顔つきをした人が多い国なんだ。母親がマダガスカル出身ということは、父親はベルギー南部の人なのかな?」

 マダガスカルは元フランスの植民地だから、ベルギーのフランス語圏である南部出身だろうと想像したのだ。

 「ええ、そうです。スランス語圏です。ベルギーに詳しそうですね?」

 「いや、詳しいというほどじゃないけど、言語と社会というテーマで授業をやったことがあってね、そのときにベルギーの言語事情や経済史を少しは調べたんだ」

 そういって、大学で授業をしていたことがあると、彼女にならって私もちょっと自己紹介をした。ベルギーの南北問題と経済といった話を授業でやったことがある。ベルギー南部はフランス語圏で、北部はオランダ語(正確にはフラマン語)圏、一部がドイツ語圏になっている。都市の名もそれぞれの言語による表記があり、外国人は英語など別の名で呼ぶからややこしいことになる。「ベルギー」という呼称は日本のもので、オランダ語なら「ベルヒエ」、フランス語なら「ベルジック」、ドイツ語では「ベルギエン」と公用語の自称が3つある。ついでに英語だと「ベルジャム」。

 1975年、フランスからオランダにヒッチハイクしているとき、“Belgium”と書いた紙を掲げている旅行者がいて、「それ、どこの国の街?」と聞いたことがある。路上でのかみ合わない会話の結果、どうやら日本人が「ベルギー」と呼んでいる国のことらしいとわかった。そういう思い出話もティナにした。自己紹介をせずにベルギーの南北問題といった話をすると、「この人、何者?」と疑問を抱くと思ったので、あえて自己紹介をしたのだ。

 ある国の言語事情を調べると、その国の民族や歴史や社会問題などもわかって興味深い。彼女が食事をしている間、マダガスカルとベルギーの言語事情の話をちょっとして、音楽の話をしてみた。

 「マダガスカル音楽のCDを何枚か持っているよ、四角いギターがあってね」とカボシという楽器の話をしたが、反応はなかった。彼女はマダガスカルに行ったことはあるが、その音楽には関心がないようだから、またベルギーの言語事情に話を戻した。

 「実は、両親は離婚して、新しい父はドイツ人なんですが、フランス語を自由にしゃべれるので、父子の会話にはまったく問題ないんです」

 食後、彼女はパソコンを取り出して、実家がある地域を地図で見せてくれた。

 「ベルギーのずーと南、南部の小さな街。すぐ南がフランス。ほらね、ほんのちょっとでフランスでしょ。東に行くとルクセンブルグ、そしてドイツ。そういう地域で私は育ったの」

 

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 チェコ100年史の野外写真展で、Baťa の文字が目に入り・・・、

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 上の写真の説明を読むと、1925年のバチャだとわかる。ティナと会う前からこの会社が気になっていたので撮影しておいたのだ。

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 Baťa の看板は、おそらくチェコのどこにでもあるだろうが、今はチェコの会社ではない。