1260話 プラハ 風がハープを奏でるように 69回

 ティナと その4

 

 日本人がフランスにあこがれを抱いたのは、戦後からではない。フランスへのあこがれは、明治時代に絵画や文学などに始まり、次は映画だった。「巴里の屋根の下」(ルネ・クレール)は、日本最初のトーキーのフランス映画だった。1931年の公開だ。それまでは無声映画だったが、この映画でフランス語の会話とフランス語の歌が日本の映画館に流れた。日本におけるシャンソンの歴史はここから始まる。

https://www.youtube.com/watch?v=mvPRRJ1QJgI

 1933年に公開されたのが、「巴里祭」(ルネ・クレール)が公開された。日本でも受け入れたことがよくわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=KWHNpcSp9LM

 日本人がフランス人になった気分で、フランスの共和国成立を祝う日を「巴里祭」(パリさい、あるいはパリまつり)と呼び、銀座にシャンソン喫茶「銀巴里」(1951~1990)ができた。シャンソンは、フランス語では「歌」を意味する名詞で、特定の音楽ジャンルを表さないが、日本では1940年代から50年代あたりのフランス歌謡を、シャンソンと呼んだ。レストランチェーンの「ジロー」の店名は、「次郎」といった日本語ではなく、たしかシャンソン歌手イベット・ジロー(Yvette Giraud)にちなんだもののはずで、もとは1955年開店のシャンソン喫茶だった。この情報は、シャンソンが好きだった永六輔によるものだ。

 石井好子芦野宏、丸山(のちの美輪)明宏、岸洋子越路吹雪といった歌手の歌を好きでもないのに、ラジオ少年であった私は聞き、テレビでも見た。そういう時代だったのだ。だから、私でも知っているのだ。ずっとのちに、「日本人のフランスかぶれの歴史」を知りたくてちょっと調べたことがあって、フランス人歌手の名前を確認したことがあるのだが、その時も嫌いなジャンルなのに意外に多くの歌手を知っていたのに、自分でもびっくりした。そういえば、戦後の同じころ、サルトルボーボワールが一種の「流行り物」となっていたことがある。フランスのファッションが、フランスの国家事業として日本に入ってきた戦後史も調べたことがあり、非常に興味深い歴史があるのだが、それはさておき・・・。

 私の想像だが、1950年代当時の日本で、シャンソンを好んで聞いていたのは女だろうと思う。外国の音楽を好んだ男は、ジャズとカントリー&ウエスタン、ハワイアンとロカビリーといったアメリカ音楽にアンテナを向けた。ジェームス・ディーンとプレスリーと西部劇だ。シャンソンを好んだ男は、旧制高校でフランス語を学んだ世代、開高健のようにフランス文学や美術などに関心があった人達だろう。開高のエッセイには、ボードレールのようなフランスの詩の話とともに、ダミアの「暗い日曜日」などにも触れている。フランスの映画や音楽は、1950年代に青春時代を過ごした若きインテリたちの一般教養だったのである。

 1960年代に入ると、フランスの音楽界も、ロックの時代に入る。

 フランスの歌謡曲も、1960年代に入りロックの影響を受けて、Yé-yé(イェイェ)と呼ばれた。ロックの歌詞に出てくるYeah!(Yesの意味。歌のなかで間投詞として使う)という英語のフランス語版だ。フランス・ギャルやシルビー・バルタンやジョニー・アリディーなどが活躍する時代で、日本でも盛んに放送された。レナウンのyeyeワンサカ娘のCMの話をすると長くなるので、以下参照。1961年発表の歌。作詞作曲は小林亜星。歌うは、シルビー・バルタン。1965年と66年のCMで歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=EvqFvUeDYno

 こういう戦後日本の音楽史があるから、私でも昔のフランス音楽を多少は知っているというわけだ。ティナの祖父母の時代のフランス語音楽の歌手の名前を思い出しているうちに、若い歌手の名も思い出した。

 「さっき、今の若いフランス人歌手で唯一知っている人がいるけど、名前を思い出せないと言ったよね。たった今、思い出したんだ・・・」

 「まさか、ザーズ(ZAZ)じゃないでしょうね?」

 「そう、その通り。ザーズは好きだよ」

 「ええ? わたし、あの発声が好きになれないのよ」

 「でもピアフのような声だよ。歌い方もそっくりさ」

 「そうかなあ、まあ、それはいいとして、彼女、ちっとも若くないわよ」

 ザーズを知ったのは、彼女のデビューアルバム「モンマルトルからのラブレター」(2010)が出たころで、若手だと思っていたのだが、今調べれば1980年生まれだ。39歳か。大学院生から見れば、決して若くはないな。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190330100834j:plain

f:id:maekawa_kenichi:20190330100922j:plain

 

 

プラハとはまったく関係はないが、過去に書いたこういう文章を紹介したい気分だ。2010年11月、アジア雑語林295話だ。

https://maekawa-kenichi.hatenablog.com/entry/20101122/1290415117