ティナと その5
その日もティナとしゃべっていた。彼女の夕食は、たいてい肉と野菜とご飯だった。「パンより、ご飯が好きなの」といって、ステンレス鍋でじょうずに炊いていた。かなり多めに作っていたのは、夕食と翌日の弁当の2食分作っていたからだ。堅実で生真面目、両親にとっていい娘で、教師にとってはいい学生だ。
彼女の食事風景を見ていて気がついたのは、食事中はいっさい水分を取らないことだ。飲み物いっさいなし。食事を終えると、コップ一杯の水をうまそうに飲む。
「ベルギーの家にいるときも、食事中に飲み物はないですよ」
日本では汁物がなくてもお茶が・・・と思ったが、考えてみれば、ちょっと前まで食事中にお茶を飲むものではなかった。お茶は食後だ。子供のころは、私もそういうしつけを受けた。3食必ず汁物が付くわけではないし、子供はお茶など飲まなかったから、食後は水道の水を飲んだ。
食事を終えても、おしゃべりが続く。今夜は、仕事場であるベルギー大使館周辺の案内を、グーグールマップを使ってやってもらう。
ベルギー大使館はプラハ城の南のマラー・ストラナ地区にあり、周辺に大使館が多くある。チェコ音楽博物館のそばに日本大使館とデンマーク大使館が並んであり、そのすぐそばにフランス大使館があり、その向かいにジョン・レノンの壁がある。テレビの旅番組で取り上げたプラハで、ちょっとそんな映像を見たが、どこにあるのか知らなかった。パソコンの地図と空撮映像とストリートビューを見ながら、彼女の通勤路や昼休みの散歩コースなどを解説してもらった。いくつもの大使館の若手スタッフとは顔見知りだそうで、昼休みに遊びに行ったりするという。
「ジョン・レノンの壁」は、じつは教会の塀だということをグーグルマップで知った。空撮映像がないと、そういう事実はなかなかわからない。
そんな話をしていると、リビングルームに私と同年配くらいの女性がひとり入ってきて、話の輪に加わった。明日、鉄道でウィーンに行くという。プラハの印象など、とりとめのない話をしているうちに、彼女はフランス人だとわかった。フランス語訛りのない英語だから、フランス人だとは気がつかなかった。
「最近の若者は別ですが、そんなに英語がしゃべれるフランス人とはめったに会いませんよ」というと、すかさず「アメリカ人と結婚して、ニューヨークに30年も、そう、30年も住んでいたのよ」と言った。「30年も」を強く言ったのは、アメリカ生活にうんざりしたのか、それとも一緒に暮らした夫のせいなのか。彼女は私の国籍を確認し、早口で日本旅行の思い出を語り、「あなたはどこの人?」とティナに話しかけた。
ベルギー人だとわかると、「フランス語は・・?」と英語で言い、ティナがフランス語で返事をしたので、それ以後、会話はフランス語に変わった。ふたりのフランス語を聞いていて、明らかに違うのがわかった。フランス人のフランス語はいままで何度も聞いたことがあるフランス語なのだが、ティナは母語がフランス語なのだが、カタカナでメモができるようなフランス語をしゃべっている。フランス語の特徴でもある喉の奥から出すR音を、日本人がしゃべっているような感じでしゃべるのだ。平板と言っていいのか、とにかくとても聞き取りやすい。知っている単語は、ちゃんと聞き取れる。
米原万里のエッセイに、同時通訳をしていたフランス語通訳が、ベルギー人のフランス語は田舎臭いと評していたという話が出てくる。ずっと以前に読んだ『不実な美女か貞淑な醜女か』(徳間書店、1994)に収められた「方言まで訳すか,訛りまで訳すか」に出てくる話なのだが、ちょうど旅に持って来ていた『米原万里ベストエッセイ1』(角川文庫、2016)に再録されていたので記憶が更新されていた。米原の本はすでにすべて読んでいるが、彼女は子供時代チェコに住んでいたことがあるから、資料収集という意味でも、彼女のエッセイを再読していた。
ウィキペディアの「ベルギー・フランス語」には、「フランス語(以下、標準フランス語)との違いは若干のイントネーションや語彙の違いなど些細なものが殆どである」と書いてあるが、実情はどうなんだろう。ネットで調べると、やはり「些細」でもないらしいとわかる。その一例が、これ。
https://ccfrancais.net/murmure/francais_en_belgique/
後日、デンマーク大使館の前を通りかかると、大使館の脇に観光事務所があり、”101 FACTS ON DENMARK"というポスターのようなものが貼ってあり、読んでみるとおもしろい。事務所に入って、「このポスターが欲しいのですが・・・」と言ってみると、「ポスターは差し上げられませんが、これなら・・」と縮小版をいただいた。
1、デンマークには406の島がある。
25、デンマーク人の半分は、ーsenで終わる姓だ。
こういう情報のほか、「デンマークは世界でもっとも平和な国だ」というような証明できない話もあるが、まあ、笑い話と解釈して楽しめばいい。
こうして、ほとんど毎夜、7時には帰宅して台所でとりとめのない会話を楽しんだ。ティナの帰りが遅くなったのは、知り合いの外交官たちとのパーティーの夜で、私が遅く帰ったのは映画を見た夜だった。ということで、次回から映画の話を少し。