1276話 つれづれなるままに本の話 1

エスニック料理店

 

 

 久しぶりに本の話をしてみようか。書評とか紹介というようなものではなく、本を巡るもろもろの話だ。

 『パクチーとアジア飯』(阿古真理、中央公論新社、2018)は、そのプロローグで、日本の食文化の変化や世界の政治・経済の動きをふまえて、この本は「本邦初の日本におけるアジア料理の歴史の本である」と、堂々と宣言している。それを翻訳すれば「大言壮語」であり、「大風呂敷」であるが、その風呂敷でうまく包めなかった。そもそも、日本における中国料理の歴史だって、通史としては多分まだ出版されていない。この本では、日本における中国料理史はほんの少し、かすっている程度には手をつけているが、「朝鮮料理と日本の歴史」というテーマは完全に無視している。ほかの料理は言わずもがなだ。歴史のつまみ食いはしても、通史にはまったくなっていないのだ。

 敗因の理由は、いくつもある。参考文献を数多く上げているが、主たる参考資料が「Hanako」と「Dancyu」だから、それ以前の歴史をほとんど把握していない。想像で書くが、たぶん年表を作っていないのではないか。原稿を書く前に、詳細な食文化年表を作っていれば、もう少しましな構成になったと思う。

 私が、戦後の日本人の海外旅行史を調べたいと思ったとき、まず年表を作った。2000年ごろの話だ。幸か不幸か、ちょうどワープロ専用機が使える時代になっていたので、年表の加筆訂正が簡単にできる。手書きではあまりに煩雑だ。

 日本人はどういう要因で海外旅行に行けるようになったのか、「外国に行きたい」と思わせた要因は何かという歴史を調べてみたかった。年表の項目は、政治・経済、旅行業者、航空会社、出版、映画、テレビ、食文化など多岐にわたり、さまざまな資料から項目を年表に入れていった。こういう作業を半年ほどしたら、年表だけで単行本1冊分くらいの原稿量になった。年表はフロッピーディスクに記録し、旅行史の原稿を書いているときは、プリントアウトした束を見ながら旅行事情の変遷を追った。こうして書いたのが、『異国憧憬』(JTB、2003)だ。

 ワープロ専用機を使った不幸とは、年表の印字は感熱紙を使ったので数年後には白紙に戻り、ワープロ専用機は廃棄したので、フロッピーディスクは燃えるゴミになった。しかし、大学の授業で旅行史を取り上げたので、ジャンルによってはより詳細な年表にしてパソコンに入れた。

 食文化と海外旅行の関係もわかる年表にしたから、日本の外国料理店の歴史がおぼろげながらわかってくる。ある年の日本にあるタイ料理店の数もしらべて、それはこのアジア雑語林にも載せた。エスニック・フードを調べるなら、エスニック・ファッションやエスニック・ミュージックそしてワールド・ミュージックの誕生も押さえておかないと、欧米で流行したエスニック料理の意味も分からない。とすると、ヒントのひとつはアメリカのカウンターカルチャーあたりにありそうだと見当がついてくる。そういう項目も年表に加えた。

 『パクチーとアジア飯』の「主要参考文献」にでてくる本は、冊数は多いが新しいものがほとんどだ。私の「日本人の海外旅行年表 食文化編」に使った重要資料は使っていないらしいのだ。例えば、こういう資料だ。

 翻訳ではあるが、日本でほぼ初めて東南アジアやインド料理が紹介されたタイムライフの『世界の料理』のシリーズ。『インド料理』と『太平洋・東南アジア料理』は1974年の出版。『アフリカ料理』と『中東料理』は1978年の発売。1980年代に入って姿を見せた金字塔が「週刊朝日百科 世界のたべもの」全140冊。1980~84年の発行だ。この百科が完成した1984年の時点で、私の記憶では、東京にあったタイ料理店は5軒あったかどうかだ。

 1970年以前に、日本にはどういう外国料理店があったのかを知るには、食べ物屋ガイドをチェックするのがいい。例えば、『続・東京味どころ』(1959)、『東京味覚地図 新宿編』と『同 銀座・赤坂・六本木編』は1965年の出版。東京オリンピックの外国ブームが感じられる。1969年には保育社カラーブックスから『日本で味わえる世界の味』が出た。

 1970年代に出版されたアジア料理店関連資料は少ないが、80年代に入ってから出版された資料で少しはわかる。『東京エスニック料理読本』(1984)や『地球の歩き方203 旅のグルメ タイ』(1991)といった資料を、なぜか『パクチーとアジア飯』では使っていない。日本におけるアジア料理の歴史的変遷という太い柱を作ることをしないで、21世に入ってから出た本のつまみ食いをしたために、芯のない本になってしまった。ちなみに、上に挙げた資料や、東京のアジア料理店の話は、このアジア雑語林ですでに何度か書いている。

 「本邦初の日本におけるアジア料理の歴史の本」を書くのは素晴らしいことで、その通りの本が出版されたらすぐさま読む。しかし、基礎ができていない今は、今後書く本のために、関係者への聞き書きを集めておくとか、まずは「中国と朝鮮の食文化と日本」をじっくり調べてみるのもいい。やらなければいけないことは、いくらでもある。日本における中国料理の影響と言えば、誰でもラーメンと餃子を取り上げるが、家庭に入った中国料理という観点なら、焼き飯を取り上げるべきだろう。日本の台所の中華鍋史とか、ニンニクとトウガラシやモヤシや豆板醤の消費量変遷など、集めておきたい基礎資料はいくらでもある。広げた大風呂敷できちんと包むには、そういう基礎作業が必要なのだ。