1279話 つれづれなるままに本の話 4

 日本を旅したチェコ人 その1

 

 

 1976年に駐プラハ日本大使となった鈴木文彦の楽しみは散歩だった。大使館近くの古本屋に立ち寄ると、店主がにっこりして、2階から分厚い2冊の本を持ってきて、差し出した。日本語にすれば「世界一周旅行 1893~94年」という意味になるチェコ語のタイトルがついている。長大な旅行記の中に、明治26年の日本を旅したチェコ人の足跡が記してある。著者が日本に立ち寄った時の写真も多く載っている。大使はチェコ語のその本を買い、翻訳しようと考えた。

 1983年に外務省を退官した元大使は、翻訳の最終仕上げをして、出版した。『明治のジャポンスコ ボヘミア教育総監の日本観察記』(ヨゼフ・コジュンスキー著、鈴木文彦訳、サイマル出版会、1985)だ。私が手に入れたのはその朝日文庫版『ジャポンスコ』(2001)である。書名は、チェコ語で「日本」を意味する昔の表現だ。

 著者コジュンスキー(1847~1938)が生まれたのはオーストリア・ハンガリー帝国の東ボヘミアという場所で、それは現在のチェコだ。著者の職業は「教育総監」となっているから国家公務員なのだろうが、旅行ばかりしている。「様々な分野の研究をする遊び人」というのが、もしかして正しい紹介かもしれない。コジュンスキーは1893年にドイツを出て、アメリカ、アジア、そしてヨーロッパという旅をして長大な旅行記を書いた。日本にはひと月ほどいて、その部分の旅行記を翻訳したのがこの文庫だ。ひと月の滞在記だが、300ページの文章になっている。その当時、外国語でさまざまな日本事情を伝えることができる人は多くはなかったと思うが、この滞在記は情報量が多い。単なる行動記録や風景や心象の描写ではなく、しっかりと日本を学んでいる。

 私もほぼひと月チェコにいて、旅行記を書いているときにこの本に出会い、勉強不足を思い知らされた。私のさまざまな質問に答えてくれるチェコ人に出会えなかったのが残念だ。

 この日本旅行記に、気になる記述がいくつかある。まずは、パスポートの話だ。外国人は、函館や長崎、東京など、8都市の滞在は、パスポートは要らないが、それ以外の土地に行くには日本のパスポートを取得する規則になっているという。訳注はない。翻訳者は元大使だから、査証と旅券の違いがわからないわけはない。イザベラ・バードの『日本奥地紀行』にも、日本のパスポートの期限が切れるから、再取得しないといけないという記述がある。翻訳者の説明は、これもない。どちらの本も、訳注をつけておいた方がよかった。イギリス人が日本のパスポートを取るという記述が誤記ではないことを、私はすでに知っているから、とまどいはなかった。

 『グランド・ツアー』(本城靖久中公新書、1983.文庫もあり)は18世紀から19世紀のヨーロッパ旅行事情を知る最適のテキストだ。すでにこの本を読んでいたので、パスポートの謎は知っていた。以下、少々長いが、この本から引用する。18世紀のイギリスの話だ。

 「イギリス政府のパスポートを入手すると、これでイギリスを離れることはできる。しかし、どこかの国に行くには、その国の大使館が発行するパスポートを入手しなければいけない。これは現在ヴィザという名前で呼ばれているものだが、当時はこれもパスポートと呼んでいた。なにしろヴィザという単語がイギリスではじめて用いられたのは、一八三一年のことなのである」

 前川がちょっと解説すると、パスポートはpassport、つまり、「港を通過する」という意味だと思っていたが、門porteが語源らしい。つまり、「門を通過する」ための証文ということだ。日本の通行手形のようなものだろう。visaの語源はラテン語のcharta visaで、chartaはスペイン語のcartaと同じで、手紙、書類、証書などの意味。visaは「見る」の過去分詞。直訳すれば「見た証書」になる。その単語のvisaだけが単独で使われるようになったのが19世紀というわけだ。

 『ジャポンスコ』の話は次回に続く。