1281話 つれづれなるままに本の話 6

 大阪

 

 

 どうも、だんだん、新書がインチキ臭くなってきた。すでに触れた阿古真理の本だけでなく、売るためのタイトル偽装(内容と違うタイトル)や、意識的な誤記、あるいはミスリードといったものだ。

 では日常なのだが、ある物事の由来や語源を説明するときに、なるべく真実に近そうなものを採用するのではなく、一番おもしろそうな説を採用するのだ。そういう番組構成に多少なりとも恥ずかしさを感じる製作者は「諸説あります」という字幕を入れておく。そうすれば、「その説が唯一正しいというわけじゃありませんよ」という言い訳になる。

 私は京都に対して罵詈雑言誹謗中傷することは期待していないから、『京都ぎらい』(井上章一朝日新書、2015)を読んでも失望はいないが、アマゾンの評価では京都批判が全面展開されていないから、タイトルと内容が違うという批判がある。この書名は、本を売りたい編集者がつけたのだろうが、やはり「あおり書名」であることはたしかだ。しかし、昨今の新書は週刊誌やスポーツ新聞のタイトルみたいなものだから、「書店で内容を確かめないあなたが悪い」と言われそうだ。

 まあ、私には京都のことはどーでもいい。このアジア雑語林で大阪を取り上げたいきさつもあり、同じ著者の『大阪的』(幻冬舎新書、2018)にもつき合った。全体的には、我がブログで書いたことと同じだ。その主張を要約すると、こうなる。

 通天閣がある新世界に大阪を代表させるのは間違っているが、大阪人自身も「おもろい大阪」を自演自笑しているというものだ。「大阪は新世界的混沌」というのが、大阪に対するマスコミのゆるぎない姿勢なのだが、それは真実ではないと知っている大阪人も、ついついサービス精神で演じてしまう。例えば、「カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW」というテレビ番組は、「新世界的混沌の大阪」という情報を大量に放出しているのだが、この番組は大阪の読売テレビの制作だから、自演自笑だ。そういうことをアジア雑語林で書いた。『大阪的』もそういう趣旨だ。

 だから、この本に意外な発見はなかったが、違和感は2か所あった。

 ひとつは、牛豚などの内臓は捨てるものだから、大阪弁の「放うるもん」から「ホルモン」と呼ばれるようになったという説についてだ。この説は、『焼肉の文化史』(佐々木道雄、明石書店、2012)などで否定されている。井上は多分それを知っていながら、「放うるもん」説が大阪で受け入れられたという説を展開している。学者がホルモンは「放うるもん」ではないとはっきり否定しないから、マスコミはおもしろい説を使いたがるのだ。

 だいたい、内臓であれ、食べ物を捨てるか?

 食糧難の昔のころはともかく、今はどうやら内臓は処分されているらしいという事実が、屠畜場で働いた経験のある作家が書いた『牛を屠る』(佐川光晴双葉文庫、2014)に出てくる。内臓は生産過剰で処分しているそうだ。今その本が見つからないので記憶で書くが、「処分」というのはおそらく捨てるということではなく、ペットフードや動物園の肉食獣用の餌とか、肥料とか、成分を何かに利用するということだろう。つまり、人間の食用としては余っているらしい。日本人が肉を多く食べるようになった現在でも、内臓に対する偏見と嫌悪感はまだまだなくならない。

 『大阪的』に関して、もう1点。これは疑問だ。大阪は新鮮で豊富な海産物に恵まれていると書いている。以前、どの本だったか全く忘れたが、深く外洋から入り込んでいる大阪湾は、漁場としては大したことはないという記述があった。今回、インターネットでその説を確認しようとしたが、出てくる資料はどれも、「大阪湾は魚類が豊富」という説ばかりだ。それならそれでいいのだが、もしその通りなら、大阪湾でとれた豊富な魚を次々に京都に運べばいいのだ。鯖街道のように、日本海から、わざわざ山道を昇り降りして、京都に魚を運ぶ必要はなかったはずだ。大坂からなら、陸路でも水路でも、日本海からの山越えルートよりも楽なはずなのだが・・・。わからん。

 

 そろそろ日本を出ます。旅行中読むかもしれない本を20冊ほど積んである。このなかから5冊から10冊ほど選ぶ。おもしろいが、捨ててもいいという本を選ぶのは難しい。常連の『枕草子』がその中に入っているが、今年は『徒然草』か『方丈記』にでもしようかと考えている。韻文は長持ちするから1冊は入れておきたい。これから、旅行携帯本の予選を始まる。

 大学の仕事がなくなったので、久しぶりにこの時期に出かけられる。盛夏のころにまた会いましょう。それまでこのブログはお休みです。バックナンバーでも読んでいてください。毎日1話読んでも、3年分以上はありますよ。

 この文章を書いているたった今、『インド先住民のアート村へ』(蔵前仁一、旅行人)が届くが、この写真集を持っていくわけにはいかない。旅心を湧き立てる刺激にしましょう。人それぞれに好みはあるだろうが、私は天下のクラマエ師のいままでのところの最高傑作は(タイトルは好きではないが)、『わけいっても、わけいっても、インド』だと思っている。その写真版ができあがったばかりのこの本だ。ただの旅行者に目的などなくてもいいが、旅行記にも写真集にも明確なテーマが欲しい。だから、インドの農村に絵を見に行く旅行記がおもしろいのだ。

 私の旅の目的は、散歩と雑学。植草甚一のマネじゃなく、E.S.モースのマネでもない。若いころは移動しているだけで楽しかったが、今は移動しているだけは旅を楽しめない。だから、いろいろ調べてみたくなる。足の散歩と知の散歩の両方が楽しい。

 Vamos amigos!!