小説のなかの言葉、外国語 上
旅に出る前に、ラトビア関連の資料を集めているなかで、『リガの犬たち』(ヘニング・マンケル、柳沢由美子訳、東京創元社、2003)を見つけた。ラトビアが舞台だというそれだけの理由で買ったスウェーデンの警察小説だ。買ってすぐ、数分眺めて、おもしろそうだと直感して、旅に持ってくことにした。私が臨場読書とか現場読書などと呼んでいる行為で、本の舞台になっている土地で、その本を読むという行為だ。
スウェーデンの小説と言えば、かつて、1960年代から70年代にかけて、マルティン・ベックシリーズ(マイ・シューバル&ベール・バールー)という警察小説があった。もっとも有名なのは『笑う警官』だろう。『リガの犬たち』のヘニング・マンケル(1948~2015)は、1990年代から2000年代の作家だから、時代がだいぶ違う。
『リガの犬たち』は、ラストが冒険活劇のようになってしまうのが難点だが、全体的には予想していた以上におもしろかった。スウェーデン南部の港に、ゴムボートが流れ着く。そこには射殺死体が2体あったが、殺されてから高価なスーツを着せられたらしい。この死体は、どうやらラトビアから流されて来たらしいとわかり、地方都市の1警官がリーガに出かけることになった。そこで・・・という小説だ。この小説のもっともすごいのは、1991年に取材執筆し、92年に出版したことだ。バルト三国の現代史を多少なりとも知っていれば、「これはすごい」とわかる。
バルト三国は、1980年代末からソビエトからの独立をめざす運動が始まっていた。1990年にリトアニアは独立を宣言したものの、明るい未来は見えなかった。1991年1月、リトアニアの首都バリニュスで、ソビエト軍とKGB特殊部隊が武力攻撃をし、14人の死者と数百人の負傷者がでた。ラトビアの首都リーガでも、やはりソビエト軍の特殊部隊が内務省を攻撃し、その現場を撮影していたカメラマン5人を射殺した。独立を阻止するためのソビエトの力の誇示であり、悪あがきだ。
1991年の2月から3月にかけて、独立の是非を問う国民投票が行われた。8月には、エストニアとラトビアが独立を宣言し、9月にソビエトが独立を承認し、バルト三国は国連に加盟した。その後、通貨が変わり、様々な変化が起こる中で、同時進行でこの小説を書いている。通りの名前も変わっているだろうが、それでも書き始めたのは、「状況が落ち着くまで待って」などと考えられないほど、先が見えなかったからだ。
私は普段、ほとんど小説を読まないが、過去に2度だけ、集中して小説を読んだ時代がある。1970年代から80年代にかけて、東南アジアの小説が積極的に翻訳出版されたので、その全部を読んだ。井村文化事業社やめこん、段々社、新宿書房などから出版された本は、すべて合わせれば100冊くらいにはなっただろうか。
東南アジアの人が書いた小説をひと通り読んだところで、「日本人は東南アジアをどのように書いたのだろうか」という疑問が湧き出して、そういう小説を買い集めて一気に読んだ。サスペンスとかミステリーとか、のちの呼称だろうが冒険小説と呼ばれるような小説だった。何十冊も読んで、内容におかしな個所がないのは中村敦夫が書いた数冊だけで、あとは、それはまあ、ひどいものだった。だから日本モノをやめて、外国の冒険小説の翻訳を読むようになった。
そのひどさの代表的な欠陥は言葉の問題だった。ただの旅行者が、なぜかタイ語がわかるシーンがあったり、何人ものタイ人が日本の新聞を熟読していたり、観光客がタイやミャンマーの少数民族の言葉が突然理解できたりといった具合だ。主人公を外国語の達人に設定するとか、登場人物が日本語か英語ができる外国人に設定にするという手もあるが、そうなると、主人公は英語ができるという設定にしないといけない。
『リガの犬たち』を読んでいて、過去の読書を思い出した。英語が得意ではないというスウェーデンの刑事が、英語があまり通じないラトビアで過ごす。当然、英語ができるラトビア人が登場するのだが、言葉で苦労する外国人の苦労にリアリティーがある。リーガでそんなことを考えたのは、日本を出る直前に読んだ本の記憶が強く残っていたからだ。
リーガの街並み