小説のなかの言葉、外国語 下
以前から、外国を舞台にした小説のなかの言葉が気になっていて、アジア雑語林の67回(2004.6.16)で、この問題について書いている。別の回で書いたかもしれないが、例えば『いま、南十字星の下で』(小堺昭三)には、黄金の三角地帯と呼ばれる地域に住む少数民族の会話まで出てくる。著者が密入国を繰り返して取材をしたとは思えないし、著者も当然ながら登場人物も、さまざまな外国語ができないはずなのに、人々の会話が続いている。読んでいて、気がついた。これと同じストーリーを読んだことがある。会話までほぼ同じだ。ノンフィクション作家が何年もかけて取材を続けて書いた『黄金の三角地帯』(竹田遼、めこん)を、何ページにも渡って盗用しているのだ。スカスカの内容の小説が、いきなり詳しい内容になる理由がそれだった。これほどひどくなくても、外国人との不思議な会話が出てくる小説はいくらでもある。
外国を舞台にした作品の言葉について興味があったので、日本を出る直前にこの本を読んだ。『日本ノンフィクション史』(武田徹、中公新書、2017)の冒頭は、外国を舞台にした作品とそこに登場する言葉の問題で、ここでは小説ではなく一応「ノンフィクション」に分類される作品に関することだ。取り上げた書き手は、石井光太。インドでインド人が話しているのを脇で聞いてメモして、原稿を書いたとしか思えないシーンが出てくるが、そんなヒンディー語能力が石井にはあるのか、いや、そもそも本当にインドに行ったのか、パスポートを見せてみろと迫ったのは、ノンフィクション作家の野村進。
外国での出来事を書く者にとって、外国語の扱い方は重要な問題だと多くの書き手は考えている。内容をおもしろくしたいと考えると、外国語の壁を無視して、スペインの酒場の客の雑談も、中国の列車内のケンカも、ただの日本人観光客がなんでも理解できるように書きたくなるのだろうが、ノンフィクションはもちろん、小説でもやってはいけないことだ。
石井光太はあるテレビ番組で、「事実を書く」ということに関して質問を受けると、「ある事が事実かどうかなんて、そんなくだらないことは、どうでもいい!」と言い切り、同席していた吉岡忍が「そこまで言うか!」と驚かせた。石井にとって、おもしろい読みものを書くということが最重要課題で、書いていることが事実かどうかなど、どうでもいいことなのだ。執筆態度としては、百田尚樹と同じである。
そんなことを考えながら、リーガで『リガの犬たち』を読みすぎないように、少しづつ読んだ。一気に読んでしまってはもったいないからであり、「本を読む時間があったら、街を散歩せよ」というもうひとりの私が文句を言っているからでもある。
この創元推理文庫は、2003年の初版で定価1100円(税別)。私が買ったのは最新版かどうかわからないが、2012年の6版(同じ内容だから、正しくは6刷とするべきだろうが・・・)だから、文庫にしては高い価格ながら、幸いよく売れているらしい。私のようにラトビアに対する興味で読む人は少ないだろうから、作品そのものと翻訳に力があるということだろう。
『リガの犬たち』で、スウェーデンの警官が案内されたホテル。「リガ一番のホテルで、二十五階以上もある高層建築」と紹介された「ホテル・ラトヴィア」は、Radisson Blu hotel Latvijaで、ソビエト時代に建てられた。古い建築物の中に立つ目障りな高層ホテルだ。ラディソンは、現在はアメリカのホテルグループのホテルだが、もともとはスカンジナビア航空(SAS)のホテル部門のブランドだった。