1288話 スケッチ バルト三国+ポーランド 7回

 ショルダーバッグ、壊れる

 

 ワルシャワにいたある日、朝食のあと散歩に出かけようと、宿の階段を下りているときだった。バサッという音が聞こえた。ショルダーバッグが階段に落ちたのだ。肩から滑り落ちたのではなく、留め金が割れたのだ。

 このショルダーバッグは、もう10年近く使っている。サラリーマンがノートパソコンを入れて持ち歩くような黒いビニールのショルダーバッグだ。スーツにお似合いのバッグなので、気まぐれな私の旅にふさわしくないデザインなのだが、使い勝手の良さと耐久性と価格を考えると、これ以上のバッグはない。

 布のバッグだと汗を吸うし、雨でバッグの中の本やノートが濡れてしまうことがある。丈夫な布のバッグだと結構重い。有名な京都の帆布バッグはえらく高く、硬い布のショルダーバックを毎日持ち歩くと、服とこすれてズボンの脇が擦り切れる。以前、防弾チョッキの布を使ったバッグを使っていたことがあるが、ジーパンがたちまちダメになった。布やヤスリになってしまうのだ。丈夫な布ならいいというわけではない。

 革のバッグだともっと重い。湿度の高い国だと、すぐにカビが生える。軽さを重要視して人工皮革のバッグを買ったことがあるが、本の重さに耐えられず、すぐに裂けた。

 総合的判断で、黒いサラリーマンバッグを買った。このバッグに、水筒代わりの500ccのペットボトルと折り畳み傘と、カメラと本と地図とノートや筆記具などが常に入っていて、かなり重い。寒い国では羽毛のジャケットを入れておくこともあるから、かなりの容量も必要だ。その重いバッグを肩にかけ、毎日歩いた。台北ハノイポルトプラハでも、どこの街でも1日10キロから20キロくらい歩いた。10年使っても、バッグそのものはまったく異常はないが、ベルトとバッグをつなぐ金具がこすれてすり減り、輪の厚みが3分の2くらいになっていた。まだ大丈夫だろうと思っていたのだが、ワルシャワで突然、金具が割れた。金属疲労骨折だ。固い金属だから、曲がらずに割れた。部屋に戻って、バッグの修理案を検討することにした。

 代わりに金具を探してワルシャワを歩く気はしないので、金具部分を切り取り、ベルトをバッグの輪に直接つけることにした。裁縫道具を取り出し、ベルトを縫い始めた。

 旅先のこういう時間が好きだ。毎日移動する日が続いたあと、やっと落ち着いた熱帯の宿で、汗臭い服を一気に洗濯をする解放感。「ああ、きょうは洗濯ができるぞ」という喜び。履いていたパンツも脱いで腰布1枚になり、すべての服やタオルを洗濯する。手洗いだから、洗うよりもすすぎに苦労するのだが、乾季の熱帯ではしっかり絞らなくてもいい。洗濯物を干したら、軒下の日陰に入り、本を読む。見上げれば、宿の中庭に洗濯物が風にたなびいている。いいかげんに絞ったシャツでも、1時間もすれば乾く。旅行者たちと雑談しながら、乾いたものから、針仕事を始める。取れそうになったボタンを付けなおしたり、ほつれた部分を縫い直したりする。そういうのんびりした時間が好きだ。バッグやサンダルは、路上の靴修理屋に持って行って修理してもらうことが多いが、自分で修繕できる部分なら、工夫して直す。

 ワルシャワで修繕したバッグは帰国するまで充分使えたが、今後のことを考えたら、新しいバッグに買い替えた方がいいのか目下検討しているところだ。新しく買っても安い物なら2000円以下で買えるのだが、さて、どうしようか。こうやって、旅の道具を検討している時間もまた、ちょっと好きな時間だ。

 旅行用品と言えば、ここ1年ほど買おうかどうか考えているのが、携帯用の折り畳み読書スタンドだ。LEDのおかげで、軽量安価な電機スタンドができた。乾電池式と充電池式があるらしい。これがあれば、暗い部屋でも本が読めるしノートにメモが書けるようだが、どれだけ実用に耐えるかは不明だ。

 

 

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 ワルシャワナチスによって焼き尽くされた。第二次大戦直後のワルシャワは、米軍の空襲を受けた東京のような焼野原だった。東京と違って、戦前の姿に忠実に復元した建造物もあるが、ガラス張りの超高層ビルも多い。数百年前の建物に飽きていたので、こういう風景もまたおもしろくて、毎日街を歩いた。 「いかにも観光地」ではない所がいい。