タイ人たち
旅行先でタイ人に会うのは、もはや珍しいことではなくなったが、それでもベネチアのような世界的観光地ならいざしらず、バルト海地方だと、やはり驚く。
夕方、リーガの旧市街を歩いていたら、パジャマのような安っぽい上下を着て歩いている女が目に入った。長い髪は先半分が金髪、元から半分が黒い。その女の回りを4人の男が囲んでいる。女が隣りの男の方を向いた。顔はアジア系で黒い。30歳前後だろうか。眉が異様に細く描いてあり、化粧も異様で、お化けメイクのようだ。女が口を開いた。タイ語だった。
「マイミー・アライルーイ」(なーんにも、ないよ)
なにがないのか、何も探しているのだろうかと、他人の行動が気になった。「食堂」とか「腹が減った」といった会話が耳に入ってきた。レストランを探しているようだが、そこは旧リーガ城、元大統領官邸のすぐそばだから、飲食店はない。タイ人5人は、立ち止まり、今来た道を引き返していった。観光客風ではないあの5人は、何者だろうか。
このリーガ証券取引所美術館の左手の路地を入ると、すぐにリーガ城(元大統領官邸)に至る。この広場を最後に飲食店はなくなる。
ポーランドのワルシャワでは、ふた組のタイ人と出会った。ワルシャワのワジェンキ公園というやたらに広い公園を散歩していたら、タイ語が聞こえた。姉妹の家族という感じの6人のタイ人に、たぶんポーランド人のガイドがついている。男2人、女4人のグループだ。タイ語をしゃべるポーランド人というのもおもしろいなと思いつつ、すれ違った。
公園を出てベンチでひと休みしていたら、そのタイ人たちも公園から出てきて、ひとりが私の隣りのベンチに腰を下ろした。50代の女性だ。
「暑いですね」とタイ語で話しかけた。
「ええ? タイ人?」
「違いますよ。日本人ですよ」
「ねえ、タイ語しゃべる日本人がいるわよ!」と、ほかのタイ人たちに声をかけ、いつものように、「なぜ日本人がタイ語をしゃべるのか」という質問になり、ほかの人が 「しょっちゅう行ってるんでしょ」と簡単に結論を出し、「タイ人の愛人がいて・・・」というお決まりの質問にならなかったのは、このタイ人たちの教養のせいか。
私が日本人だとわかって、日本旅行の思い出を話し出た。日本には何度も行っているという。
「何が目的なんですか? 買い物?」
「違うわよ。食べ物よ。日本料理は世界で一番おいしいから」
やはり、時代が変わったのだ。生ものを決して口にしない中国人が、すし、刺身を食べる時代だ。スパイスを使わないから、「日本料理は味が単調」と言って、天ぷら以外はあまり食べたがらなかったタイ人が、日本料理を目当てに日本に来るようになったのだ。
3列シートのクルマが来て、彼らは乗り込んだ。公園出口にいたのは、迎えの車を待っていたのだ。「明日は、プラハ。えーと、それ、どこの国だっけ?」と言って笑い、別れた。
もうひと組のタイ人もワルシャワで出会った。変化のないポーランド料理に少々飽きて、「アジア料理」という看板を出している店に入った。メニューを見ると、「トム・カー・ガイ」がある、ショウガの仲間のカーと鶏肉を入れたココナツ味のスープだ。外国では、トムヤムクンは、辛いから西洋人にはあまり好まれないようだ。中国、ベトナム、タイ料理の店だ。私はパッタイ(タイの焼きそば)を注文した。その時、店にいる客のひとりが携帯電話で話している言葉が耳に入った。タイ語だ。そのあと、店にいた男たち5人全員が、タイ語で話し出した。
「ここのパッタイはうまいの?」
「ああ、うまいよ」
そう言って男たちは立ち上がり、店を出ていった。
タイ人たちは観光客には見えない。その姿は、実業団の運動選手が、練習を終えて食事に来たという感じで、皆タイ人にしては背が高く、ジャージ姿だ。サッカーか何かのスポーツ選手かと思って店員に聞いてみたが、彼らの素性を「まったく知らないなあ」と言った。
タイ人が「うまいよ」と言ったパッタイだが、まったくうまくなかった。鶏肉がゴロゴロしていて、箸で食事する人のことがわかっていない。逆に言えば、ナイフとフォークで食事をする人向けの料理法だとわかっただけでも、この店に入った収穫はあった。
ワルシャワの料理店の、パッタイと称する料理。鶏肉がゴロゴロと大きい。客がアジア人だとわかると、竹の割り箸を持ってくる。右の赤いのは飲み物ではなく、甘辛いソース。24ズウォティ、日本円にして約700円。安宿の朝飯が450円、カフェでコーヒーとシナモンブレッドで300円というのがワルシャワの物価だ。