1292話 スケッチ バルト三国+ポーランド 11回

 韓国人たち

 

 リーガにラトビア占領博物館というものがある。Latvijas Okupacijas Muzejsというラトビア語をにらむと、英語のoccupancy(占領)の仲間の単語らしいと想像できる。元アメリカ大使館だった建物だというが、大した建築物ではないことからアメリカとの浅い関係という歴史がわかる。現在アメリカ大使館はバウガバ川の向こう側の、広い敷地に大きな建物に移っている。そして、この元大使館は、ちょっと前のガイドブックでは「2018年10月移転予定」と書いてあるが、2019年6月にはまだあり、本当の移転がいつになるかはっきりしない。移転場所は、観光名所ブラックヘッドの会館隣りだが、工事はまだまだかかりそうだ。

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 占領博物館正面入り口。「1940~1991」と占領された時代が書いてある。

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 占領博物館の移転予定地。手前の茶色と青い屋根がブラックヘッドの会館。その向こうの緑色の網がかけてあるのが、建設中の占領博物館。もしかすると、ここにKGB博物館も移転予定なのかもしれない。

 

 さて、その占領博物館に行った。2階が展示会場で、階段を昇ったところにあるちょっとした空間に応接セットのような椅子とテーブルがあり、テーブルの上にラトビアとなぜか韓国の旗が置いてあるのに気がついた。さて、その意味が分からないなと思いつつ、ラトビアソビエトに占領されていた時代の写真展示を見ていたら、階段の方でざわざわと騒がしくなった。狭い展示室だからすぐに階段の方に行ってみると、20人ほど背広姿の男たちが階段を上がってくるのが見えた。大きなテレビカメラを持った男がひとり、一眼レフのカメラを持った男がひとり、上着は着ているがネクタイを締めている者はいない。若い女がふたりいる。男たちのちょっとくたびれたジャケットから、「中国人か、北朝鮮人か?」などと思ったが、韓国の国旗を掲げているのだから韓国人に違いない。数十年前ならいざ知らず、背広姿の韓国人も日本人も見かけは変わらないはずだが、このとき貧乏臭く見えたのは、おそらくトランクに入れてきた上着がしわくちゃになっていたからかもしれない。

 垢ぬけない服装から、小さな町の市会議員かと思った。リーガと姉妹都市関係にある韓国の市かとも思ったが、帰国してから確認すると、韓国とラトビア間に姉妹都市関係にある市はない。これだけの人数で、テレビカメラもついてきているということは、国会議員の訪問団だろうか。日本なら、こういう場所は義理で5分か10分で通り抜け、すぐに遊びに行くというのが「議員の視察旅行」の常識だから、韓国も同じようなものだろう。

 館長らしき人が、訪問団に展示物の解説をていねいにしている。狭い館内がざわざわしているので、私は階段そばの狭い展示室に避難した。説明はまだ続いている。訪問団は20分経っても、まだ館長の解説を聞いている。義理のお付き合いではなさそうだ。韓国もラトビアも、つらく悲しい占領体験があるから、この博物館を訪問しようと思ったのか。ドイツとロシアに挟まれているというのがバルト三国の悲劇だが、中国と日本に挟まれているというのが朝鮮の悲劇だ。

 ベンチに座っていると、訪問団のメンバーのひとりである若い女性が私の隣りに座り、壁のモニターのスイッチを入れた。ラトビアの歴史映像だ。ラトビア語のナレーションが流れているから、モニターの「En」のスイッチを押してあげた。英語放送のスイッチだ。

 彼女は「サンキュー」と言ったので、このチャンスに飛びついた。いくつかの疑問を解決したかったのだ。

 「あの人たちは、国会議員ですか?」

 「はい、そうですが・・・、どちらからいらっしゃたんですか?」

 「日本です」

 「我々は韓国から来たんです」。そうか、”Korea”じゃなくて、ちゃんと”South”をつけるんだとは思ったが、韓国人だということはとっくにわかってますよとは言わなかった。

 「訪問団の目的は、通商交渉とか、そういったものですか?」

 「いえ、ごく一般的な・・・」

 「友好関係と作るといったような?」

 「はい、そうです」

 「ラトビアでも、韓国企業の進出は盛んですね。川向うの高層ビルには”LG”という大きな看板がかかっていますね」

「へえ、そうですか」

 彼女は韓国大使館の職員が、韓国から一緒に来た、例えば外務省の職員かどちらかだろうと思っていたのだが、あのLGビルを知らないとなると、訪問団の世話をするために韓国から来たのだろう。

 訪問団は階段を昇ったところに設けたテーブルにつき、写真をとり、なにかの文書に署名しているのかもしれないと思ったが、私は展示会場にいたので、具体的にどういうことが行われたのかは知らない。

 それにしても、なぜ占領博物館なのだろう。友好訪問団がラトビア人と仲良く写真を撮るなら、宮殿のような部屋とか、大きな教会の特別室とか、写真映えする場所を選びそうなのに、なぜ占領博物館なのかという疑問が消えないので、彼女に聞いてみようと思ったところで、訪問時間の終了となり、訪問団は退出した。

 

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 川向うの中央にある高層ビルに、「LG]という大きな看板がかかている。左手はラトビアの最高層建造物であるテレビ塔だが、観光用に開放されていないようだ。