1296話 スケッチ バルト三国+ポーランド 15回

 ラトビアの元銀行員と歌手 その1

 

 リーガの地図を眺めていたら、ダウガバ川の西岸、国立図書館のすぐそばに鉄道博物館があることがわかった。1日をたっぷり使いたいから、朝7時に近所のコンビニでコーヒーを飲み、そのまま散歩することにした。リーガはダウガバ川の東岸にできた街で、「旧市街」は近世の街、その隣の「新市街」と呼んでいる地域は近代の街区、ここ100年から150年前あたりにできた街だ。一方、西岸の方は現代の街で、林と新興住宅地やオフィスビルがある。

 国立図書館は目立つ外観だから、その場所はすでに知っている。ダウガバ川にかかるアクメンス橋を歩いて渡りたい、国立図書館を近くで見たいという希望が、鉄道博物館に行くという計画で、すべて叶えられることになった。トロリーバスも走っているアクメンス橋を歩いて渡る者などいるのかと思った。私のように歩いている人もいるが、ジョギングする人と暴走自転車も多いので、注意をしつつ川面を吹き抜ける寒風に耐えて歩いた。6月初めはかなり寒かったのだ。

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 ダウガバ川東岸から西岸を望む。鉄橋の鉄道橋の向こうに見えるのが国立図書館。歩道のあるアクメンス橋はその右に小さく見える。

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 望遠で国立図書館を撮影。近くまで来たらきっちり撮影しようと思っていたのだが、寒いし好きなデザインでもないので、「まあ、いいや」と素通りした。

 

 たどり着いた鉄道博物館の扉は締まっていた。9時ちょっとすぎという時刻は早すぎるのか、それとも今日は休館なのか、あるいは私が行きたくなる博物館ではしばしばあることなのだが、すでに閉館になっているのだろうか。入口に開館案内が書いてあれば、開館日や開館時間がわかるのだが、そういう情報は一切書いてない。月曜は休館の可能性が高いので、前日の日曜日に来たのだが、さて、どうなんだ。

 近所の人にたずねたいのだが、日曜日の朝だからか、人が歩いていない。さて、困った。仕方がないから、このあたりを散歩して10時ごろにまた来るかと歩き出すと、若い男女に出会った。レジ袋を提げているから近所の人だ。情報源が歩いてきたのだから、もちろん話しかけた。

 「あそこの鉄道博物館は、今日は休館なのか、それともしばらくすれば開くのか、わかります?」

 男はスマホを見て時刻を確認し、「多分、10時か11時には開くと思うけど・・・」

 「1時間か2時間、このあたりで時間をつぶさないといけないわけか。近所におもしろそうな場所はありますか?」

 「そこの公園はどうですか? 美しい公園ですよ」と女が答えた。

 「公園か、公園で2時間過ごす趣味はないなあ・・・。困った」

 私は広い道路の向こうに広がる公園を眺めながら、「さあて・・」と考えた。

 「そうだ! 」と彼女。「これから犬の散歩に公園に行くの。時間をつぶすなら、いっしょに散歩しません。ね、そうしましょ。ちょっと待ってて」と言って、彼女はアパートに入って行った。

 アパート前に立っているふたりの男は、ちょっと苦笑いをした。

 「サッカーは好きですか?」

 20代後半に見える男が当然言った。何を言いたいのかわからないが、「いや、興味がないんだ」と返事をした。

 「昨日の夜、サッカーの試合があったんですよ。ラトビアのチームがでる試合」

 「二人で競技場へ見に行ったんだ」

 「いや、試合はスペインで行われたからテレビで見たんだけど、そのスポーツバーで彼女と知り合い、今まで飲んでいて、まだ飲み足りないから、『もうちょっと飲もう』ということで、ビールを買ってきたというわけで・・・」」とレジ袋に入ったビンビールを示した。

 そんな話をしているうちに、彼女はチワワのような小型犬を連れてアパートから出てきた。

 「あたし、エルザ。歌手よ」

 握手をして、私も自己紹介した。男は黙っている。西洋の礼儀を無視したこういう態度は嫌いじゃない。私も、初めて会った人にすぐさま自分から自己紹介して、あたりさわりのない話を和やかに始めるようなマナーは心得ていない。広大な公園を歩きながらの雑談で、彼は元銀行員だとわかった。

 「銀行の仕事はもういやでいやで、つらいから3年で辞めたんだ。今月、辞めたばかりさ。3年間の欲求不満が爆発して、有益なことは何もしないと決めたんだ。友達と部屋を借りて、生活費を安くして、8月末まで、リーガでひたすらダラダラと過ごすよ。そのために、カネをためたんだ。職探しは9月に入ってから」

 「この機会に外国に行くとか・・・」

 「ヨーロッパのほとんどの国にはすでに行ったから、今年はリーガで無為に過ごすと決めたんです。その方が安いしね」

 ソビエト時代の生活を知りたかったが、二人とも若すぎる。歌手のエルザは30歳だと言った。元銀行員は、多分、25か26歳くらいだろう。ふたりとも1990年以前のソビエト時代を知らない。物心がついた時には、ラトビアはすでに自由な国になっていた。

 カモが泳ぐ池の淵に座り、ゆっくり話をした。私には聞きたいことがいくらでもあるから、雑談会というよりインタビューのようになった。元銀行員に、物価や収入のことなどを聞いた。

 「リーガの小学校か中学校の、20代の教師の月給はいくらくらいなの?」

 「学校によって違いはあるけど、700ユーロくらいから始まって、でも20代では1000ユーロを越えることはないな」

 ユーロの月給が日本円にしていくらかという換算は、交換レートによって違いが出るが、この時の交換レートで計算すれば、9~12万円くらいということだろう。ボーナスや公務員の各種手当などは、話がややこしくなるので詳しくは聞かなかった。

 「住宅費は、今のボクの場合で言えば、3人で3ベッドルームのアパートを借りていて、月600ユーロの家賃を3人で払っているから、ひとり200ユーロ。独身時代なら、この程度の住宅費で街の中心部に住むことができるけど、家族で暮らすなら郊外だ」

 ラトビアの外国語教育の話もちょっと聞いた。

 「ソビエト時代は、ロシア語は外国語じゃなくて公用語だった。教育はロシア語だけで行われたんだ。だけどボクたちの世代では、まずラトビア語、そして英語も徹底的にやる。そして第2外国語は、ボクの場合ドイツ語かロシア語が選べたんだけで、ビジネスでどちらが有効かを考えて、どっちも好きじゃないけど、ロシア語を選んだ。ドイツ人とは英語で仕事ができるから、ドイツ語は要らないだろうという判断さ」

 元銀行員は、ポケットからスマホを取り出し、何かを調べているようだった。

 「ラトビア鉄道歴史博物館は10時開館だけど、日曜と月曜が休館。と言うわけで、今日は休館です」

 休館のおかげで、こういうおしゃべりができた。旅に無駄な事なんかない。

 

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 あれから3週間ほどたって、やっと鉄道博物館に行った帰りのアクメンス橋。人々の服装はもう夏になっている。鉄道博物館の話は、後日。こうご期待。