1297話 スケッチ バルト三国+ポーランド 16回

 ラトビアの元銀行員と人歌手 その2

 

 元銀行員が調べてくれた結果、きょうは鉄道博物館に行けないことがわかった。

「そろそろ行こうか」と、元銀行員。6月初めのそのころは、公園でじっとしていると少し寒かった。3人とも、東京なら冬の服装をしていたが、冷風の公園にこれ以上いたくなかった。

 アパートに戻る道を歩きながら、「きょうヒマだから、リーガの案内をしてあげる。どこか行きたいところ、ある?」とエルザは言ったが、いままで昼は徹底的に歩き回り、夜はいくつかの参考書でリーガの勉強をしたので、狭いリーガはすでにほとんど歩きつくしている。だから、「外国人はまず知らないという場所がいいな」とリクエストしてみた。

 アパートの前で、「ちょっと待ってて」と言って、彼女は犬を部屋に連れて行った。元銀行員はスマホを取り出して、なにやら操作している。

 「ウーバーみたいなもので・・・」

 私はスマホを持っていないが、タクシーを呼んだのだとなんとなくわかる。

 エルザがアパートから出てくると同時に、すぐに車が止まり、3人がタクシーに乗り旧市街に向かった。元銀行員のアパートは、我が安宿から直線距離にして100メートルくしか

 離れていないから、その近所はもちろんよく知っている。我々3人は車を降りた。

 「じゃ、ここで。シャワーを浴びて、寝るよ。30時間以上起きているから、さすがにくたびれた。さよなら」と元銀行員は手を振り脇の道路に入り、我々ふたりは反対方向の歩道を歩き始めた。

 私とエルザは寒風吹く通りに出た。ラトビアの気候は3分で急変する。晴れ間が見え、暖かくなるかと期待していたら、突然の寒風に吹かれる。氷雨が降ることもある。路上のカフェは、椅子の背もたれに毛布が掛けてある。それが6月初めのリーガだった。

 狭いリーガを毎日歩き回っているから、名所や建造物に関しては私の方が詳しい。そこで、エルザは「知る人ぞ知る」という場所に私を案内した。音楽家やデザイナーや役者や作家といったネクタイとは無縁の人生を歩んでいる人たちや、それらのタマゴたちがやってくる店に案内してくれた。そういう店に腰を下ろし、さまざまなことを話した。

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 ビルの谷間の細い路地を入ると、突然こういう空間が広がることがある。できて間もないオフィスビルで、「こういう場所は知らないでしょ?」と外国人旅行者が自慢したら、「知っているわよ」と言われた。このあたりは観光地ではないが、ベルガ・バザールというしゃれた地区だ。

 

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 彼女が連れて行ってくれたカフェ。路地のどん詰まりにある。毛布がひざ掛けにもショールにも使うほど寒いのだが、それでも屋外にいる気持ち良さがある。この日からわずか数日後に、気温30度の夏になるとは思わなかった。

 

 彼女は歌手で、プロダクションの社長でもあると言った。各種機材を買い、バックバンドを持っているとも言った。歌える場所があればどこででも歌うらしい。マーケットが狭いラトビア音楽界なら、歌える場所があるというだけでも幸せなのかもしれない。

 「母親が日本人という友達がいてね、彼女に教えてもらった日本の歌も歌うことがあるのよ」と言って口ずさんだのが、ザ・ピーナッツの「ウナセラディ東京」だった。

 好きな音楽はジャズだというので、「ここ数年は、こういうのをよく聞いているんだ」と言って、ノートに”Charlie Haden ,Nocturne”と書いた。彼女はスマホで調べて、すぐに再生したが、気に入らないらしい。

 https://www.youtube.com/watch?v=7kPPNUFvPw8

 「あたしが好きなのは、こういうの」

 スマホのスピーカーからチャールズ・ミンガスが流れ出した。同じベーシストで、CDショップの「ベーシスト」の棚ではチャーリー・ヘイデンの隣りに置いてあるのだが、私はあまり聞いていない。この曲もまったく知らない。ミンガスは嫌いではないが、特に「いいなー」とはあまり感じないのだ。

 彼女はゴリゴリのジャズが好きらしい。「ゴリゴリのジャズ」と言うのはジャズファンの用語で、豪快にサックスを吹きまくるというような力強いジャズのことだ。私も20代のころはそういうジャズも聞いたし、いまでも聞かないわけではないが、いまはピアノトリオのような「しっとりしたジャズ」の方が好みになっている。考えてみれば、これは音楽の趣味の変化というだけのことではなく、旅の趣味の変化でもあるような気がする。彼女はまだ「ゴリゴリ」の人生を歩んでいるのかもしれないとも思った。いつも全身で生きていくような生活なのかもしれないと思った。

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 「どこかで昼飯を」ということになり、私は隠れ家的食堂に連れて行ってくれるのを期待したのだが、残念ながらきょうは日曜日。有名チェーン店のカフェテリア”LIDO”に行った。彼女は「あまり、おなかがすいてないの」と言ったが、2時間後に「あ~、お腹がすいた」と言い出した。

 

 ふたりでリーガの路地から路地へと歩き、とにかくよくしゃべった。5時ごろになるとさすがにくたびれてきた。朝9時過ぎからしゃべっているのだ。日本語なら何時間しゃべっていても平気だが、英語だとエネルギーの負荷が大きい。ちょうど宿の近くに来たので、「それじゃ、この辺で・・・」と宿に戻ることを告げた。そのときも、そして今も、世話になっていながら申し訳ないと思うのだが、精神的にも体力的にも、長時間の休息を必要としていた。ちゃんとした男なら、彼女のアパートまで送っていくのが礼儀なのだろうが、「ちゃんとした男」ではない私は、そういう礼儀をわきまえていない。

 カフェでコーヒーを飲んだ時に、「あとでユーチューブで見たいんだけど、どう検索すればいいの?」とノートを差し出した。彼女は自分の名前を書きながら、「SNSは?」と私にきいたが、「スマホも持っていないから・・・」と答えた。それは事実なのだが、一方的に彼女の情報だけをもらって申し訳ないという気がした。

 帰国して、ユーチューブで、彼女の名前を検索欄に入れた。このコラムで公開する許可はとっていないが、ユーチューブだから許してくれるだろう。

 Elza Rozentāleの名前で検索すると、いくつものライブ映像が出てくる。そのひとつが、これ。ラトビア色を出したスローな歌もあるし、バラエティーに富んでいる。今さらとは思うが、こういうライブ映像を見ながら話しをしてもよかったな、などと後悔している。

https://www.youtube.com/watch?v=P8gReF97bG4