1299話 スケッチ バルト三国+ポーランド 18回

 旅行者たち その1

 

アメリカ人 ポーランドワルシャワ

 ワルシャワの安宿で旅行者の世話をしている若い男がいて、しかし従業員というわけでもなさそうで、顔つきは東南アジア人なのだが、英語がうまい。しかし、フィリピン人風でもない。正体不明の若者と立ち話をした。

 「ここで働いているの?」

 「いや、退屈しのぎのボランティアです。夜はときどき、あそこで歌ったりしてね」と、宿のカフェテリアの方に顔を向けた。

 「このあと、どういう旅をするの?」

 「北上して、バルト三国。そしてストックホルムから、アメリカに帰ります」

 「アメリカに住んでるの?」

 「そう、ボク、アメリカ人だから。生まれも育ちもアメリカ。両親はカンボジア出身だけど」

 アメリカ生まれというが、その英語はアメリカ風ではないことに違和感があったが、私が会ったことがあるアメリカ生まれの日系人の英語も日本語訛りがあったから、育った環境によってそうなるのだろうか。

 「カンボジアには行ったことがあるの?」

 「いや、まだ。行きたいとは思っているんだけど、そのチャンスがなくて・・・」

 「カンボジア語は?」

 「いつもうちに親戚や、両親の友達が遊びに来ているから、会話はかなりわかります。話すのはそれほどうまくないけど、カンボジアにしばらくいれば、かなり話せるようになると思いますよ」

 「読むのは?」

 「全然。勉強したことがないから」

 「カンボジアの文字は難しいよ、うんざりするくらい」

 「勉強したことあるんですか?」

 「うん、ちょっとね。だけど、もういやだ、あんなややこしい文字は」

 東京外国語大学カンボジア語特別授業を受けたことがあるのだが、文字のややこしさにうんざりした。タイ文字なんか簡単だと思えるほど、複雑怪奇な文字だ。

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 ワルシャワ、スケッチ。

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 ワルシャワ蜂起記念碑。第二次大戦中、ナチス・ドイツに占領されていたポーランドを解放しようと、ポーランド国軍と市民がソビエトの支援を受け蜂起したものの、この運動が反ドイツであると同時に反ソビエトでもあるとわかったソビエトは手を引いた。ドイツに反旗を翻したということでドイツの怒りを買い、支援者を失ったワルシャワナチスによって徹底的に焼き払われた。

 

チェコ人 リトアニアビリニュス

 宿のリビングルームでちょっと話をして、彼がチェコ人だとわかったが東南アジア系の顔つきだから、「そうか、ベトナム系か」と言うと、「なんでわかるの?」といぶかしげだった。

 「去年の秋、しばらくプラハにいたから、想像はつくんだよ」

 チェコにいるアジア人といえば、ベトナム人だとすぐに想像がつく。20代後半の、その男の話。

 「6歳のとき、両親とともにチェコに来たんです。父は若い時にチェコで働いていたことがあって、結婚して、子供を連れて、またチェコに行ったというわけで・・・」

 チェコスロバキアは同じ社会主義国ということでベトナムとは深い関係があり、留学生や労働者として、多くのベトナム人チェコスロバキアに来た。1990年前後の独立の動きの中で、ベトナム人労働者はいったん帰国したが、政情が落ち着いたら、「チェコ語がわかる優秀な労働者」ということで、移住が認められチェコに戻ってきた。去年チェコに行ったから、そういう歴史はすでに頭に入っている。

 「6歳の子供が見たチェコはどうだった?」

 「まったく環境が違うでしょ。風景も気候も、言葉もわからないし、友達もいないし、苦労しました。弟はチェコで生まれたから、チェコ語だけ。家の中でもベトナム語は話さない。」

 「チェコにおけるベトナム系住民の地位というのはどうなの」

 「ボクが子供のころはひどかったですよ。いじめられてね。ところが、2008年に、ベトナム系住民が立ち上がって、『ベトナム人を理解してもらおう』という運動をやったんです。料理教室とか歌や踊りの会を開いたりとか。そういう活動をやったおかげで、それ以後、目立った差別行為というのはなくなりました。まったく差別がないというわけじゃないけど、ボクは銀行に就職できているし・・・」

 彼の言動から、立派なチェコ人になろうとしているのはわかる。しかし、外見的には依然としてベトナム人だ。顔つきの話ではない。首から下げた太い金のネックレスだ。シャツのボタンをはずして、これみよがしに金を見せている。アジアでは、タイ人もベトナム人も(中国と日本のヤクザと、一部の野球選手も)、そういう趣味がある。

 帰国後、ベトナム研究者にこの話をすると、「チェコベトナム人は勝手放題をやったから、その反撃を受けていたんですよね」と言ったが、詳細を聞く時間がなかった。ベトナム研究のフィールドとしても、チェコは興味深い場所だ。