1307話 スケッチ バルト三国+ポーランド 26回

 さあ、トイレの話だ その2

 

 ラトビアのトイレに関する資料でもっとも詳しい日本語文献は、『ラトヴィアの蒼い風』(黒沢歩、新評論、2007)だろう。「選挙後のトイレ」という章で、なんと10ページにわたってラトビアのトイレ事情を詳細に書いている。すべてを引用したくなるほどおもしろいのだがそうもいかないので、いくつかのポイントに分けて、紹介していこう。この本は2006年までに執筆したものだから、2000年代前半までの事情だ。

「あちこちでお目にかかる便座のない洋式トイレ」

 イタリアでは共用便所には便座がないのは普通だったが、私はリーガでは便座なしトイレは見かけなかった。男はホテル以外で便座を必要とすることは少ないのだが、私は探求心もあって、一応個室事情を覗いてみたが、「便座ナシ」の例は見なかった。だからと言って、現在のラトビアのトイレはどこでも「便座アリ」だと主張する気はまったくない。

「駅の公衆トイレには東洋式のしゃがみ込むタイプのものがあり・・・」

 ここにもあったか。しゃがみ式便器は。かつてイスラム文化の影響を受けた地域に残っていることが多いと思うのだが、ラトビアのしゃがみ式はどこの影響なのだろうか。日本以外にもしゃがみ式のトイレはあるのだから、「トイレを和式と洋式の二種類で考えるのはおやめなさい」と、このコラムで何度も書いている。いや、トイレの話だけではない。世の中の事柄を「日本と世界を比較」などと言いつつ、その実、欧米のごく一部を取り上げて比較しているに過ぎないという例はいくらでもある。テレビのその手の番組に悪態をつきましょう。

「四畳半くらいのがらんどうの部屋」の「床の片隅に一つの穴があいています」というトイレ。

 エストニアに至るラトビア側最後のバスターミナルのトイレは、大きな木造の小屋で、内にはひとつだけ穴があるだけだが、その穴まで行かないで床で用を足す人が多い、と書いている。こういうシロモノについて、著者は椎名誠の名著『ロシアにおけるニタリノフの便座について』を紹介し、「便所の基本的な形態とその使用法といったものをまったく理解していない」人たちの便所だという部分を引用している。こういう「穴だけトイレ」は、「ソビエト時代のラトビア」、つまりロシア式なのか、それともこの地域に共通する伝統的姿なのか。

「トイレはありますか?」

 著者が日本人の団体客を連れてリトアニアとの国境に来た時、そこの事務所で聞いたのは、「トイレはどこですか?」ではなく、「トイレはありますか?」だった。「トイレはない」という返事もあることを、著者は知っているからだ。案の定、そこにもトイレはなく、警備員の答えは「どこでもご自由に」だった。

フィリピンの島の食堂(と言っても、港のある町の食堂だ)で、私も同じ体験をした。「トイレはどこですか?」と聞いたら、裏庭を指差し、「その辺の好きな場所で」と言われたことがある。

肥料

「トイレが水洗になってしまったら、下水を整備しなけりゃならないばかりか大切な肥料を失うじゃないか」とラトビア人が言ったと書いている。ラトビアにも人糞肥料の考えがあるということか。家畜を多く飼う地域では、家畜の糞尿を肥料にしたのだが、人間の糞尿も使ったのだろうか。

トイレットペーパー

 いよいよ、出てきた。新聞紙の話だ。

 「1990年のリーガのトイレには、ロールペーパー用の金具は取り付けられてあってもそこにローリングの紙があったためしはなく、その代わりによどんだピンクのわら半紙や新聞が無造作に切られて木箱のなかに置かれていました」

f:id:maekawa_kenichi:20190826105737j:plain

 前回紹介したこの写真。ロール紙を取り付ける金具だが、そこに切った新聞紙を置けるように細工してあるという構造に気がつかなかった人もいるかと思い、再度載せる。

 

 当時の国立アカデミー図書館のトイレにも、新聞紙が置いてあったという。1998年の秋のこと、その図書館のトイレに白い紙が置いてあるのを見つけた。それは新しいトイレットペーパーではなく、国政選挙の使用済み投票用紙だった。この話から、ラトビアのトイレの話に「選挙後のトイレ」という章タイトルがついている。「ちなみに、このごろの大学などにもやっとロール式のトイレットペーパーが普及するようになりました」とある。「このごろ」とは、2006年ごろということだ。ラトビアEUに加盟した2004年以降、外国人の目も意識してか、トイレ事情も改善されてきたらしい。

言論の自由がない国の新聞や雑誌は、文字が印刷してあるトイレットペーパーでしかないが、価値ある紙ではある。日本でも、この変化は新聞紙が、「新聞がみ」から「新聞し」に変わっていった歴史を思い起こさせる。

 

 トイレとは直接関係ないが、紹介する機会がなかったので、タリンの「ソビエト時代展」で再現された家の残りの内部写真をここで紹介する。

f:id:maekawa_kenichi:20190828093120j:plain

 これは洗濯機だったか?

f:id:maekawa_kenichi:20190828093208j:plain

 玄関から寝室を見る。

f:id:maekawa_kenichi:20190828093248j:plain

 リビングルームの再現。テーブルにのっているのは灰皿だろう。黒い部分を押し下げると、吸い殻が落ちる。