1308話 スケッチ バルト三国+ポーランド 27回

 さあ、トイレの話だ その3 

 

 トイレ関連の本でもテレビの雑学番組でも、「ベルサイユ宮殿にはトイレはなかった」などという話題が何度も登場するが、「ちょっとは調べてものを言いなさい!」といつも思う。

 そもそも当時のフランスにトイレはないんだから、ベルサイユ宮殿にも当然トイレはないんだよ。上下水道のない時代のフランスで、2階以上の建物にトイレを作るのは無理で、普通は室内便器を使っていたのだ。城などの場合は、壁から突き出た空間を作り、糞尿を落下させた。通常は、おまるを使っていた。だから、持ち運び自由、金持ちならクローゼットのなかに室内便器を置いた。これは、座面に大きな穴をあけた椅子で、その下におまるが置いてあるというものだ。室内便器を置いているクローゼット(納戸、小部屋、衣裳部屋)をトイレの意味に使い、その便器が水洗式になったことで、水洗便所を英語でwater  closet、略してWCというようになった。

 もう少し詳しく書いておくと、壺あるいは「おまる」といった室内便器がある場所がいわばトイレで、マリー・アントワネット用の椅子式室内便器はあった。だから、「便器がある場所がトイレだ」という定義なら、当時もトイレはあったといえるが、そうすると寝室もトイレということになりややこしい。ヨーロッパの石積み中層住宅というのは、基本的に室内にトイレを作れない構造なのだ。水洗設備がない時代に、階上の部屋にトイレは作れないのだ。

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 ベッドの下には、おまる。その右の柄がついた金属のものは、フランス語ではbassinoire,英語ではbed warmerと呼ばれるもので、暖炉の薪の燃えさし(おき、熾)を入れてベッドを温める道具。ラトビアの野外建築博物館にて。

 

 バルト三国のそれぞれの建築博物館に行ったときに、当然トイレが気になったのだが、やはりトイレはない。職員に「この家のトイレは?」と聞くと、「外です」という。日本でも、昔の農家のトイレは家と離れたところにあるのが普通だから、それは何とも思わないが、これらの建築博物館では、その屋外トイレが再現されていないのだ。「あれかな?」と思われる小屋はあったが、柵があって「関係者以外立ち入り禁止」になっている。どこかに、トイレが作ってあるかもしれないと、注意しながら建築博物館を散歩していたら、それらしき小屋を見つけ、何の表示もないが「もしや?」という予感がして、扉を開けると、現役のトイレだった。外見は昔のトイレのようだが、なかはプラスチック製らしき小便器と板張りの腰かけ便器があった。

 この腰かけ便器というのは、板張りのベンチのようなもので、中央に穴が開いていて、便座がついている。アメリカの西部劇映画で見たことがあるし、京都の新島襄邸のトイレもこのスタイルだ。このトイレを見たくて京都に行ったことがある。

https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g298564-d3376304-i156615646-Jyo_Nijima_s_Old_House-Kyoto_Kyoto_Prefecture_Kinki.html

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 リーガの鉄道歴史博物館の展示。おそらく、1930年代ころの鉄道員宿舎のミニチュア。トイレに磁器の便器はなく、穴が開いたベンチを使う。明るくない室内で小さいものをガラス越しで望遠撮影するには、手振れを起こさないように三脚が必要なのだが、手持ちで撮ると、この大きさではブレが出るという、言い訳。

 

 野外の建築博物館には、入場者用に「WC」などと書いたトイレの表示がある。日本では時代遅れの表示だが、ヨーロッパではまだ現役の表記だ。復元された住宅のすぐ外にある小屋のトイレは、部外者には何の表示もないので、復元されたその家の近くで働く職員用のトイレではないかと想像した。

 前回紹介した『ラトヴィアの蒼い風』に、この野外トイレの話が出ている。黒沢さんの説明では、ラトビアの観光地の地図には、ハートの印がついていることがあるそうで、これは「屋外トイレ」(正確には、水洗ではない屋外トイレのこと)を示す記号」だそうだ。「ある音楽家の記念博物館を訪れたときは、造りたての木造の屋外トイレがあります」とある。私がラトビアで撮影した小屋を確認すると、ドアにハート型の切り抜き窓があった。この小屋を撮影した時に、扉のハートに気がついていたが、ただの飾りか臭気抜きだろうと思ったから気にかけなかった。帰国後にこの本を再読して、「ああ、そうか、あれはトイレを示すマークだったのか」とわかったというわけだ。

 つまり、私が見た野外トイレは、昔の建物の復元部分ではなく、職員やハートのマークの意味が分かるラトビア人来園者用に作ったトイレだろうと思う。

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 左は物置か何か不明。ドアにカギがかかっている。右手のドアを開けると、左手に男子小用便器、正面にベンチ型の腰かけ便器があったが、現役のトイレなので撮影しなかった。この写真を撮った時は、ドアのハートマークの穴の意味を知らなかった。これがくみ取り式トイレなら、ドア下のコンクリートは、汲み取り口のフタだろうか。ラトビアの野外建築博物館にて。

 人差し指1本で1日1000枚の写真でも撮れるが、撮影した物の意味を理解するには手間と時間がかかる。だから、こういう旅行記でもけっこう手間がかかるのだが、その「手間」が楽しい時間だ。