トラムに乗って その1
今回から、しばらく乗り物の話をする。機械の話を掘り下げる気はさらさらないので、乗り物スケッチである。まずは、トラム(路面電車)の話から。
年に何回か会って雑談をする元新聞記者の知人がいる。彼は現役時代、いくつかの街で特派員生活をしてきた。先日会った時は、こういう話から始まった。
「先月、20年ぶりにバンコクに行ったんだけど、よく知っている昔のバンコクが、今どう変わったか知りたかったが、自由時間はたった1日しかないんで、高架鉄道に乗ったんだ。2路線の始発から終点まで乗って、バンコクを見たんだ」
私と同じようなことをしているとわかった。私も、ある街の全貌が知りたくなるとトラムに乗って終点まで行き、始発駅まで戻るというようなことをやる。バスではどこに連れて行かれるかわからない。地下鉄では街が見えない。それでも地下鉄の終点まで乗ることがあるのは、郊外風景が見たいからだ。観光客はまず行かない郊外の住宅地探訪ができるからだ。
トラムなら、街の中心部から郊外まで見ることができる。ここ十数年ほどで完成した新興住宅地に行きつくことが多く、そうなればスーパーマーケットやショッピングセンターを覗く。あるいは、場所によっては、終点付近が開発に取り残された古い地区ということもある。どういう場所であれ、ガイドブックではわからない街の顔を見ることができる。
エストニアのタリンでもトラムを利用して郊外に出かけたのに、この写真を1枚撮っただけだ。トラムはあまりに普通にあるので、意識しないとついつい撮り忘れる。
だから、リーガではやや積極的にトラムを撮影するようにした。
パンがちょっと固いホットドッグとコーヒーの朝食と旧型トラム。
シナモンロールとコーヒーの朝食と新型トラム。どちらも、コンビニのイートインで。
街に風景には旧型がよく似合う。
こういう連結トラムで終点まで来た。広告が多くなると、味わいや美しさが消えていく。
終点は、こういう団地に行きあたることが多い。しばらく団地観光をして、またトラムに乗る。終点が完全な住宅地だと飲食店がないことが少なくない。空腹やノドの渇きは我慢できるが、トイレが近いという人はこういうトラムの旅はできない。強靭な、我が泌尿器と胃腸に感謝。
郊外から街の中心地をめざす。ielaという単語は、最初に読めるようになったラトビア語。「通り」という意味だ。
上の2枚の車内写真は、いまにも元共産主義国という雰囲気を残している。
動物園前で、観光用トラムを見つけた。通常のトラムよりもちょっと高かったような気がするが、乗っていないので情報を覚えていない。
中心地でも見かけた観光トラム。当たり前だが、乗っていると、自分が乗っているこのトラムの姿が見えない。うしろの建物は、なんだ? 窓か?
近づいてよく見ると、壁に国内各都市の記章が描かれているとわかった。いちばん上がラトビアの国章。その下のふたつある記章の左側がリーガの記章。右はエルガワの記章。