リーガの自動車博物館
リーガ郊外にある自動車博物館は、小規模なものだろう予想し、まさにその通りだった。小さくても、共産圏自動車博物館だと、それはそれでおもしろいだろうと思ったのだが、そういう自動車の大博物館でもなかった。それでもちょっとおもしろかったのは、自動車映画館があったからだ。
古そうなバスが展示してあった。レトロな印象のバスだが、説明板によれば“PAZ 672M”というバスで、1982年から89年に生産されたものだという。1989年なんて、1950年代生まれの私にはちっとも昔という感じはしないのだが、「時間が停まったソ連時代」の最後の時代だとわかれば、レトロ風デザインではなく、昔のデザインそのままなのだとわかる。
このバスに乗ると、フロントガラス部分がモニターになっていて、1975年の農村の結婚式風景が映し出される。その当時の、自動車とポーランド人の生活が、バスの席が見ることができるという点で、興味深かった。
自動車博物館正面。どう考えても、ロールス・ロイスを意識したファサード(建物の正面)だよね。
古いバスの展示だと思ったが、車内に入れそうなので、足を踏み入れる。
1975年の村の結婚式に行くという風景らしい。
近くの村から、トラックで行く。
村に着いた。何台かの車が停まっているが、動画なのでよく見えない。
スクーターやトラクターなど、1975年当時の村の自動車事情がわかるようになっている。
この博物館の最大の自慢展示品は、ソ連共産党書記長レオニード・ブレジネフ(1906~1982)が乗っていたロールス・ロイスの事故車だ。「ロールス・ロイスの事故車を展示しているのは世界で当館だけである」と自慢の展示車の説明をしているが、まあ、そうだろうが、事故に関する説明は一切ない。帰国後調べてみたが、ネット情報ではわからない。だからと言って、ブレジネフは、関連資料を買い集めて調べてみたくなる人物ではないので、わからないままにしておく。断片的な情報では、世界の高級車を乗り回すのが趣味だったようで、自動車博物館の事故車には、運転席にブレジネフらしき人物の人形が置いてある。書記長ともなれば、自分で運転手することなどないだろうと思ったのだが、どうやら自分で運転していて事故を起こしたらしい。ブレジネフは心臓病で死んでいるので、この事故と死因は関係ないらしい。
ロールス・ロイスとしては、その安全性をアピールする展示だと解釈しているのか、それとも「やはり、事故車の展示は困る」と迷惑なのか、どうなのだろう。そういう話題は、おそらく自動車マニアにはありふれた話題なのだろうが・・・。
ソビエトの高級車といえば、ジルやチャイカなどは私でも知っているが、ブレジネフは国民には使用を禁じている欧米車が大好きだったらしい。
で、ロールス・ロイスに乗っていて(ぶっとばしたか、酔っぱらっていたのかは不明)、こうなった。
そのほかの車
1980年のモスクワオリンピック使用車。MOCKBAがロシア語のモスクワだ。
右の車がおもしろいと思ったが、説明板を撮影しなかった。車種が不明で、写真で説明板をよく見ると、REAFと書いてある。この語で検索すると、LEAFの誤記だと判断されてしまう。
東ドイツのトラバントも、こういう塗装だとひどい車とは思えないから不思議だ。
チェコのTATRA。この三つ目は、旧友に出会ったような気がする。近隣国を旅してくると、いままでの知識の積み重ねが役に立つ。