1350話 日本の英語教育 その1

 日本では、英語など必要ない

 

 NHKBS1の「cool Japan」で日本の英語教育を取り上げた回で、コメンテイターの大学教授が、日本人の脳は生後18か月で日本語脳ができるので、外国語がなかなか入らないのだという学説を紹介していた。おいおい、だよな。こういうことを平気で言う学者が多いんだ。生後18年なら、わかる。その年齢まである特定の言語だけで育つと、つまり母語が完成すると、それ以後違う言語をしゃべるようになっても、発音などに母語の干渉を受けるということだ。デーブ・スペクターの日本語がどんなにうまくても、やはり「外国人の日本語」の響きは残る。そういうことだ。もちろん、環境や個人差はある。

 「日本人の英語発音がひどい」という原因を、舌の長さや口の形で説明するトンデモ説など数多い。よくも、恥ずかしくもなく言えるものだ。

ここ数年ヨーロッパを旅してわかったのは、バルト3国でもスペインでも、英語を話す若者が実に多いということで、そのおかげでいろいろ助けてもらったし、楽しい雑談の時間も過ごせた。そういう国々の人たちと比べれば、「日本人はあまり英語ができない」という説は当たっていると思う。

 では、なぜ日本人は英語ができないのか。

 脳の問題でも、舌の問題でもない。文科省の教育方針に問題があるわけでもなく、英語教師の資質に問題があるわけでもない。「中学・高校の6年間も英語を学んでも、その後まったく役に立たない」と批判する人は多いが、数学だって物理だって、漢文だって、その後の日常生活で役に立ってなどいないのだから、英語教育だけを批判するのはおかしい。

 日本人が英語ができない理由は、実に簡単だ。

 日本では英語など必要ないからだ。

 英語など必要のない人は、当然学ばない。学ぶ気もない。必要だと思う人は、その必要度に合わせて学ぶ。浅草の外国人観光客を取り上げたテレビ番組で、仲見世のお土産屋のおばあちゃんが、下手は下手なりに、必要にして充分な英語で客と対応していた。大阪の自由軒といえば、創業100年を超えるカレー屋だが、数年前に行ったときは、日本人の客は私ひとりで、あとはアジア系観光客(たぶん、台湾、韓国、中国、タイからの旅行者)だった。店のおばあちゃんは、必要最小限の英語で対応していた。それでいいのだ。英語を話さないと商売にならないとなれば、必要度に応じてしゃべるようになるのだ。

 シンガポールやフィリピンやインドには英語ができる人が多いのは、英語力のレベルによって会社や役所での地位に差があり、収入も変わるからだ。ほかの国でも、例えばリゾートホテルの従業員は、その外国語力によって、給料が違う。日本も、一部上場企業の就職や官僚になるには、英検1級程度の英語力が必須となれば、大学生は懸命に英語を学ぶだろうが、日本はそういう国ではない。

 あるいは、フランスのバカロレアにように、高校卒業検定試験のようなことをやれば、高卒の資格を取るために、どうしても英語を学ばなければいけなくなる。しかし、それは日本にとっていいことなのか。まんざら悪くない考えだと思うのだが、この話は長くなるので、ここでは展開しない。

 アメリカの大学を卒業した若者が日本で就職すると、英語がまるでできない社員の五割り増しの給料が支払われるということは、多分ない。サラリーマン世界に疎いので、正確な情報ではないが、おそらくそうだろう。英語ができる人、例えば英検1級取得者という人は、就職に有利ではあっても、就職後の高給が保証されているわけではない。それなら、苦労して英語を学ばなくてもいいと若者は考える。そういうわけだ。日本人の留学生が少ないとよく言われるが、留学してある程度の外国語能力を身につけたとしても、留学費用に見合うだけの賃金は保証されない。留学してもしなくても、賃金が同じなら、多額のカネを使い苦労して留学することはないのだ。

 留学が無駄だというのではない。金銭的に考えると、帰国してもさほど優遇されないということだ。これももちろん個人差があり、オーストラリアに自称「英語留学」しても、日本人と共同生活をして日本料理店でアルバイトをしていて、英語はほとんどできないというような若者も、じつは少なくない。

 ちゃんと猛勉強して、博士号を取得して帰国しても、その努力に見合った就職先がないという問題もある。