1358話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第2回

 ボヘミアン・ラプソディー

 

 期待と不安のまま、「ボヘミアン・ラプソディー」を見た。クイーンのフレディー・マーキュリーの伝記的音楽映画だ。

 見終わって、やはり、阿藤快のように「なんだかなあ」という気持ちだった。ネットで批評を探ると、ニューヨークタイムス(2018、10、30)は批評の最後をこう締めくくる。

 “Bohemian Rhapsody” supplies a reminder that the band existed, but it conveys only a superficial, suspect sense of what it was. You can do better with YouTube and a stack of vinyl records. Easy come, easy go.

(「ボヘミアン・ラプソディ」という映画は、そんなバンドがかつてあったのだと思い出させてくれるが、それだけだ。ユーチューブやレコードで本物に接した方がいい。その程度のものだ)。

 寅さんのセリフが浮かぶ。「それを言っちゃー、おしめーよ」なのだが、私の感想も同じだった。映画でどんなシーンを作り上げようと、現実のコンサート映像と音の方が何千倍もいいに決まっている。この感想は、クイーンと同じ時代を過ごした世代に共通するのか、古くからのクイーンファンはこれで満足するのだろうかなどと思ったのだが、この映画について深く触れる気はない。

 「ボヘミアン・ラプソディー」という歌については、たびたびテレビで取り上げられているが、何を言いたいのかさっぱりわからない歌詞で、過去のテレビ番組でも解明はされなかった。最近、そのヒントをつかんだ。「song to soul」(BS-TBS)というテレビ番組で、この曲を取り上げた。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは「この歌詞の意味は知っているが、話したくない」と言った。イギリスのクイーン・ファンクラブの元会長という人物が、「個人的な想像ですが・・・」と断った上で、その想像を話してくれた。「この歌は、自分がゲイであることを告白した歌だと思うんです」

 そうか、なるほど。それなら、わかった。

 「mama, just killed a man」という歌詞が唐突に出てくる。あるテレビ番組では、イギリスで実際にあった殺人事件がどうのこうのといった解説もあったが、違う。殺されたのはファルーク・バルサラ(フレディーの出生名)で、殺したのはフレディー・マーキュリーという音楽家だ。異性愛者を演じてきたファルーク・バルサラを殺し、フレディー・マーキュリーという新しい名をなのり、バイセクシャルであることを宣言したのがこの歌だ。そう理解すると、「現実から逃れられない」とか「生まれてこなければよかったのか」といった歌詞の意味がよくわかる。性の問題がこの映画の大筋でもあるから、映画のタイトルも「ボヘミアン・ラプソディー」にしたのだろう。映画の主旨はどうであれ、この映画は感動作ではなかった。そういえば、最近、氷川きよしは、この歌を日本語詞で歌った。

 「そんなわけで、『これはいいなあ』っていう音楽映画には最近出会っていないんだけど、松村さんは、『これ、最高だよ』って音楽映画はあった? ミュージカルは嫌いだから、除外する。コンサート物も除外すると、どうなる?」

 頭にはいくつもの音楽映画が浮かんだが、専門家はどう答えるだろうか。