1362話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第6回

 フォー・ザ・ボーイズがいい

 

 音楽映画の定義などあるわけではないが、私の中では一応ミュージカルは除外している。純然たるコンサート映像というのも除外している。「純然たる」というのは、コンサート物でも、「ウッドストック」のように、ドキュメントの面もあるからで、簡単に線引きできない。だから、「定義などいいかげんなもので」という程度の範囲で、「あれは良かったなあ」という音楽映画をあれこれ考えてみる。

 ベット・ミドラーの「ローズ」はあまりおもしろくなかったと書いた。最初は歌手として彼女を知った。“Do You Want To Dance”(1972)や”Boggie Woggie Bugle Boy”(1973)は大好きだった。そして、最初の映画出演が「ローズ」だったから期待したのだが、「なんだかなあ」だったというわけだ。

 「フォー・ザ・ボーイズ」(1991)はすばらしい音楽映画だった。ベット・ミドラーは主演であり、制作もしている。つまり、出資したということだ。

 ベット・ミドラーとジェームス・カーン(「シンデレラ・リバティー」がいい)のふたりが軍の慰問をする歌手を演じ、第2次世界大戦、朝鮮戦争ベトナム戦争の戦場に行って歌う。それぞれの時代の歌があり、兵士となった若者が聞きいる。この映画のことを考えていて、伝記映画をおもしろいとはあまり思えない理由がわかったような気がした。実在の音楽家をなぞらえる伝記ドラマというのは、結局ショーパブの「ソックリショー」以上のものにはなかなかなれないのかもしれないと思ったのだ。もちろん、私の好みの問題である。有名人の伝記映画は注目を浴びるし、興行成績も悪くないかもしれないが、私はあまり満足しない。

 The Supremesをモデルとした「ドリームガールズ」はミュージカルの映画化で、私はミュージカルが嫌いだから、60年代ソウルが大好きでも、この映画の評価は高くならない。ちなみに、ウィキペディアによれば、The Supremesは日本ではずっと「シュープリームス」と呼んでいたが(私もこの呼び名に親しみを感じる)、これはイギリス式発音ということで、近年アメリカ式発音で「スプリームス」と表記を変えているということだが(誰が変えたのだろう?)、「ザ・スプリームズ」とまでは変更しないようだ。

 フォーシーズンズのリーダー、フランキー・バリの伝記映画「ジャージー・ボーイズ」は、その音楽そのものがすばらしいのであって、映画のすばらしさではないような気がする。レイ・チャールズジミ・ヘンドリックスなどいくつも見た伝記映画をあまりおもしろくないと思ったのは、「本物」を知っているからかもしれない。グレン・ミラーベニー・グッドマンの物語は、当然ながら同時代感はないから、「似ているかどうか」など意識しない。

 伝記映画というと、ダイアナ・ロスが主演した「ビリー・ホリディ物語 奇妙な果実」(1972)を思い出す。この映画が公開された1972年ごろ、ビリー・ホリディの歌はラジオで何度か聞いたことがあり、前年に出版された『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』(ビリー・ホリデイ油井正一大橋巨泉訳、晶文社、1971)は読んでいた。「あの映画はひどい!」とラジオ番組で憤慨したのは、翻訳者のひとりである大橋巨泉だった。テレビの巨泉は大嫌いだが、ラジオでジャズ評論をやっていた巨泉は、ジャズを抽象論であれこれ論じることの嫌いな私には、わかりやすく歌詞の紹介もしてくれたので評価できた。

 ビリー・ホリデイをまったく知らない人には、麻薬中毒の悲惨な天才ジャズ歌手の物語として、この映画の世界に入り込めるだろうが、彼女の歌も人生もよく知っているジャズファンからは「ありゃー、なんだ。ひでーもんだ!!」ということになったのだろう。すでに書いたように、「当人」をどの程度知っているかによって伝記映画の評価が分かれることはある。ビリー・ホリデイの映画に関しては、私は「当人」をよく知らないが、つまらない映画だと思った。

 2007年のエディット・ピアフの知識は、1972年当時のビリー・ホリデイと同じくらいだったが、その伝記映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」は、まあ、それほど悪くないという印象だった。この映画も、おそらくピアフの大ファンにとっては納得いかないものだったかもしれない。