日本の中国人と中国料理
古本屋で格安だったので、『中国人は見ている。』(中島恵、日経プレミアシリーズ、2019)を買った。食文化の話が60ページほどあるからだ。
来日した中国人はすき焼きの生タマゴが食べられないという話から始まる。この本は表面だけさらっとさらっただけで、内容に深みがないから多少は売れるのだろうが、私にとってはまったく物足りない。歴史を踏まえないと、話題がおもしろくならない。
20年ほど前、まだ中国人観光客はほとんどいなかった時代、台湾人や香港人や、中国系アジア人が日本にやって来ると、食事は基本的に中国料理だった。「せっかく日本に来たのだから日本料理を試したい」というのなら、天ぷらや松阪牛やアワビなどの鉄板焼きを出した。刺身など生魚は無論ダメだが、観光中の昼飯に弁当を出すのもご法度だった。冷めた飯を嫌がるからだ。
しかし、その中国人がすっかり変わった。すしを食べるために日本に来るというのも、もはや珍しくない。中国人が、すし(生魚と冷えた飯)を喜んで食べる時代になったのだ。20年ほど前、クアラルンプールの書店で、中国語版の築地食べ歩きガイドを見つけてびっくりした記憶がある。次々に日本料理を食べて行くようになった中国人(中国語人)にとって、日本の食文化の最後の砦が生タマゴなのだ。
日本観光をする中国人団体に同行するというテレビ番組を見た。ある日の夕食はすき焼きだ。もちろん、小鉢に生タマゴがある。画面を注視していると、20代、30代の旅行者は日本人と同じように平気で肉を生タマゴにつけて口に運んでいるのだが、中高年になると、初めからタマゴに手をつけないか、タマゴを鍋に投入して加熱する人もいた。
ここで重要なことは、日本でこういう旅行をしているのは、大都会に住む比較的裕福な人たちで、異文化に対する適応力や好奇心も強い。そもそも海外旅行などできない貧民層なら、すしもほかの日本料理も喜ばないだろう。
著者はそういうことはわかっていて、あえて深い話をしないのだろうと思う。というのは、香港では生タマゴをつけて食べる鍋料理があるとはっきり書いているからだ。その鍋料理に私も驚いた。寄せ鍋をすき焼きのように食べさせる路上の店だった。地域性や階層を無視して、「中国人は・・・」とか「中国では・・・」と書いてはいけないと、著者はよくわかっている。内容が薄いのは、読者の要求レベルに合わせたということだろう。
日本在住中国人が苦手な中国料理のひとつが、片栗粉を使ってとろみをつけた料理だという。中国でもやる料理法なのだが、日本人はとろみをつけすぎるというのだ。この本のすぐあとに読んだ『中国料理と近現代日本 食と嗜好の文化交流史』(岩間一弘編著、慶應義塾大学出版会、2019)収載の論文、「日本における中国料理の受容:歴史篇」(草野美保)でも、1930年に日本人向けに出版された中国人が書いた料理書に、日本の中国料理はとろみをつけすぎると注意している。考えてみると、日本ではとろみをつけない中国料理は野菜炒めなど少数か。
このことと、ねっとりしたカレーが好きということと関連があるのだろうかなどと、ふと思う。