1380話 最近読んだ本の話 その13

 言葉の本

 

 西江雅之(1937~2015)さんは、早稲田大学政経学部在学中、図書館の開館とともに入り、さまざまな外国語を自習すると同時に、大学で学べるあらゆる外国語の授業に出席し、のちに言語学者となった。

 世間には「言葉オタク」というような人がいる。言語学者はそれを職業化した人たちなのだが、仕事とは関係なく、外国語学習に精を出している人もいる。知り合いの編集者の話では、同僚は毎年、その年に学ぶ言語を決めるという。例えば、アムハラ語を学ぶと決めれば、1年間ひたすら学ぶ、翌年は別の言語を学ぶ。仕事とはまったく関係なく、ただ「好きだから」という理由だけで、外国語を学ぶ。城巡りやボディービルと同じように、外国語学習が道楽である。

 高校時代の友人は、つい最近リスボンに短期滞在し、ポルトガル語に磨きをかけている。彼はすでにスペイン語、フランス語、英語の観光通訳の資格を取り、次はポルトガル語で資格を取ろうとしている。「あとひとつ、5言語習得」を目標にしている。彼の場合は外国語学習が仕事に結びついているのだが、通訳は定年退職後に選んだ職業で、基本的に外国語学習が大好きなのだろう。

 私は日本語も外国語も、とにかく言葉には興味はあるが、それを徹底的に学ぶという熱意や根気や努力が徹底的に欠けているので、どの言語もまともに勉強していない。単なる、言葉好きでしかないから、言葉のエッセイはよく買う。

 言語学者黒田龍之介の本はよく買うのだが、基本的にロシア語とその周辺の言語という枠を出ないので、あまりおもしろくない。それでもついつい買ってしまうのは、味気のない言語学論文と違い、読みやすいからだろうか。『世界のことばアイウエオ』(ちくま文庫、2018)も、いつもと同じ感想で、「その言葉を使っている人のことをもっと書いてくれればいいのになあ」である。

 この文庫の解説をしているのが、外国語オタクのライター高野秀行である。だから、彼がこういうの本の著者で、言語学者が解説をすれば、もっとおもしろい本になったと思う。編集者の誰か、高野さんに言語エッセイを書いてもらうといいですよ。彼の場合は、単なる物好きで外国語を学んでいるわけではなく、使うための外国語だ。その点では梅棹忠夫に近い。

 私は言語エッセイのファンだから。本屋でその種の本を見ると、ついつい買ってしまう。食文化研究書のハードルは高いのだが(つまり、より専門的な本を望むということ)、言語エッセイのハードルは低い。古本屋で安く売っていると、躊躇せず買ってしまう。

 『美人の日本語』(山下景子、幻冬舎、2005)はちょっと恥ずかしくなる書名なのだが、趣味はいい。ブックデザインがいい。ちょっと味のある言葉を選んで解説した本だ。例えば、「天泣」(てんきゅう)は雲がないのに降る雨のこと。天気雨とか狐の嫁入りと同じ。「几帳面」(きちょうめん)は、元は大工用語だったことなど、歳時記と雑学本を合わせたような本で、古本屋で100円ちょっとだから買った。

 定価で買ったのが、『知っておくと役立つ街の変な日本語』(飯間浩明朝日新書、2019)は、朝日新聞連載の「街のB級言葉図鑑」をまとめたもので、かなり気に入っている。辞書に載っていない語の使用例が写真で紹介してある。「皆様のお役にたてれるよう・・・」というように、ら抜き言葉が看板になっている例。「お昼のランチ」という二重表現。そういえば、「5時までランチ」とか「モーニングは1時まで」というような張り紙が喫茶店にあったような気がする。そもそも、「モーニング・サービス」というのは、あえて意味を探れば、教会の朝の礼拝のことなんだけどね。