1388話 「応答せよ」と韓国現代史 その6

 韓国のファーストフード店と資本の自由化

 

 韓国のピザ史をちょっと調べてみたくなった。韓国のグルメ番組「水曜美食会」(tvN)のピザ特集で、韓国のピザ黎明期を取り上げたが、私が食べた道峰区のピザハウスの話は出てこなかった。今、ネットで調べられる情報は、次のようなものだ。

 韓国最初のピザハウスは、1961年にシェラトングランデウォーカーヒル(現グランデウォーカーヒルソウル)に開店したPizza Hillだそうだが、韓国人が入場できないカジノがある場所なので、ピザもほとんどの韓国人とは無縁だっただろう。

 韓国のPizza Hutの1号店は1985年、外国人が多く集まるイテウォンに開店した。シェーキーズの出店年はわからない。ミスターピザは経営者の談話で1990年の出店だとわかる。ドミノピザも、ウィキペディア韓国語版で、1990年の出店だとわかる。やはり、ウィキペディア韓国語版で「ピザ」を調べると、「1972年には、ソウルユネスコビルに大韓民国初のピザ店が開店」(自動翻訳)とあるが、この店の情報はほかでは見つからない。

 ドラマを見ていると、1988年にはすでにマクドナルドがあることがわかる。韓国のハンバーガーショップ史は、1979年にロッテデパート内にロッテリア1号店が出店、翌80年に2号店。1号店はすでにないので、2号店が韓国最古のロッテリアとなる。1984年にバーガーキング、88年にマクドナルドが出店した。1980年代後半は、食文化でも大きな変化があった時代で、「応答せよ 1988」ではそういう食文化新時代をさりげなく描いている。

 モランボン薬念研究所http://yangnyeom.jp/culture/back1912.htmlに食文化資料がある。

 ちなみに、日本初のKFCは19470年。ダンキンドーナッツも同年。マクドナルド1号店は1971年。ミスタードーナッツも同年。ロッテリア1号店は1972年。ピザハット1号店は1973年、シェーキーズは1974年。日本で1970年代前半に沸き上がったファーストフード店の波は、韓国では、というよりソウルでは1980年代におきていたことがわかる。

 1970年代にアメリカのファーストフード店が日本に進出したのは偶然ではない。戦後の日本経済は、自力ではどうにもならないくらい弱体化していたから、IMFOECDなどの国際機関の援助を受けて経済の立て直しをはかっていった。1960年代に入り、次第に力をつけてくると、諸外国から「保護処置を受けて優遇されている状態から、そろそろ自立しなさい」と勧告を受けて、為替の自由化(両替の自由化)を実行したのが、1964年の海外旅行の自由化である。主にアメリカからの「制限を撤廃し、もっと買え!」という貿易自由化の圧力は今も続いている。貿易の自由化とともに圧力がかかってきたのが、資本の自由化である。簡単に言えば、外国企業が日本で事業を展開する自由を認めろという圧力で、日本は1967年から順次、資本の自由化を実行した。そういう歴史的背景があって、日本にアメリカのファーストフードチェーン店が一気に進出したのである。韓国経済史はまったく知らないが、日本の例を考えれば、1980年代後半から、韓国でもアメリカからの資本の自由化の圧力があったのではないかと推察できる。韓国経済史をほんのちょっとかじれば、韓国で資本の自由化が本格的に始まるのは1990年代かららしい。その準備段階が、80年代のファーストフードチェーン店の進出であったのかどうかは、じっくりと韓国経済史を調べなければいけないのだが、そこまでの調査意欲はない。専門家に任せよう。

 海外旅行の自由化もハンバーガーショップも、そうした国際経済の背景なしには存在しえないのだが、トラベルライターやフードライターは、残念ながらそういう事柄にまるで興味がないようだ。

 追加の情報だが、『おいしい・ソウル』のチョンノの項に、若者に人気のコーヒーショップとして「Banjulバンジュール」(1974年開店)の名があがっている。「応答せよ 1988」に登場する店だが、ドラマで撮影されたのは別の店だ。