1391話 「応答せよ」と韓国現代史 その9

 弁当検査

 

 かつて、ホームドラマが全盛だったころ、「いつも飯を食っているシーンばっかり」という批判に対して、脚本家が「家族全員が揃うのは食事時だから」と答えていた。1970年代でさえ、都市部では夕食に家族全員がいつも揃うのは虚構になっていたが、ホームドラマの世界では「一家団欒」があった。現在は、ドラマの世界の食事風景は朝食に変わってかろうじて存在している。

 「応答せよ 1988」はホームドラマなので、とにかく食事シーンが多い。私は食べ物に興味があるから、「1988年の、ソウルの日常の食事のサンプル」を見ることができるから、「飯を食っているシーンばかり」はむしろありがたい。1980年代に砂糖の輸入自由化され、私の想像だが中国からトウガラシの輸入が増え、特に辛さの少ない甘味種のトウガラシが大量に輸入されたことで、この時代から韓国料理が甘く赤くなった。いままで醤油煮だったトッポギが赤く辛いが甘い食べ物に変わっていった時代だ。しかし、料理の赤く甘い波は、まだ家庭には入っていないようで、ドラマに登場する家庭料理で赤いのはキムチだけだ。

 このドラマは高校生の子供たちを中心に展開するので、学校での食事風景もたっぷり登場する。朝飯のおかずの残りを弁当に詰めるのが並ならば、上の弁当は卵焼きとソーセージだ。両親が共働きの子は、学校でカップラーメンを食べているというシーンもある。韓国のテレビ番組「水曜美食会」(Mnet)で語られた弁当話では、魚肉ソーセージをフライパンで焼いて弁当に入れるのは並みで、同じ魚肉ソーセージを使いながら、ネギのみじん切りを加えた生タマゴをまぶして焼いたのが上の弁当だという話が展開された。

 高校生が弁当を食べているシーンを見ていて、弁当検査の時代が終わっていることがよくわかった。かつて、学校では弁当検査があった。雑穀入りの飯にしろという規則に反して白米10割の飯を詰めている生徒が処罰された。これが弁当検査だ。

 朝鮮半島は地理的にも気候的にも、農業に適しているとは思えない。満足にコメができないだけでなく、小麦も大してできない。だから、コメの代わりにうどんを食べるという対処もなかなかできない。雑穀生活が普通だ。

 韓国KBSのテレビ番組に「韓国人の食卓」がある。韓国の主に農山魚村に行って、その地のちょっと前の食生活を再現するという番組だ。ロケ地が離島や山村だと、村人が「昔はコメなんて満足に食えなかったよなあ」というセリフが50代くらいの人の口から出てくる。日本なら戦後の食糧難時代の思い出話を語れるのは戦前・戦中時代の生まれだが、韓国では離島山村なら1960年代生まれでも、満足にコメが食えない時代を体験している。ソウルにはあるコメが、山村離島には回ってこなかったのだ。

 『ブルーガイド 韓国の旅』(1978)に、1978年の米飯事情が簡潔に書いてある。要点をまとめると、こうだ。

・飲食店で出す飯には、30パーセントの雑穀混入が義務づけられている。

・水曜と土曜の昼はその雑穀飯さえ出すことを禁止し、パンや麺類を出す粉食日というのがあった。76年にコメが豊作となったため粉食日は廃止された。

・73年から、中国料理店では米飯を出すことを禁止した。

 ちょっと解説する。韓国でも、日本と同じように、アメリカの小麦が安く輸入されていた。アメリカの小麦は日本ではパンや麺に変わったのだが、韓国ではパンのほか、ジャジャン麺など麺類、そしてマッコリ(酒)の原料にもなった。また、韓国の中国人差別というのはすさまじいもので、ソウルから中華街が消えたほどだ。

 弁当検査がいつまであったのか。韓国のテレビ番組で、50代の評論家が「昔、弁当検査ってあったよなあ」と言っていた。「1988」の高校生と同世代なら、小中学生時代の80年代前半あたりまであったかもしれない。

 弁当検査の話は、韓国KBSの「KBSwarld 韓国の食卓の移り変わり」にも出てくる。

http://world.kbs.co.kr/service/contents_view.htm?lang=j&menu_cate=history&id=&board_seq=3998&page=1&board_code=

 ちなみに、上記『ブルーガイド 韓国の旅』(李剛、脇田恵暢、実業之日本社、1978)は、実用上の旅行情報以上に、韓国の雑学が詰まっている。旅行ガイドブックにも、現地の情報が豊富に織り込まれていた時代の象徴である。だから、『韓国食文化読本』(朝倉敏夫、林史樹、守屋亜記子、国立民族学博物館、2015)の参考文献にもなっている。今は写真ばっかりの、内容もページ数も薄っぺらなガイドブックが全盛だが、かつては参考文献になるほどの資料が詰まっている時代があったのだ。