1985年の韓国取材あと、87年にも韓国に行った。85年と同じ雑誌の取材で、まだ寒い春先だった。だから、私にとってのあのころの韓国は練炭の匂いと燃えた練炭の灰だった。
あれはどこだったのかまったくわからないのだが、取材を終えて丘の上の道を歩いていた。道の両側が下り坂だから、山で言えば、稜線を歩いている感じだった。韓国の住宅は床暖房のオンドルのために平屋だ。古い二階建て住宅は日本時代の日本人住宅だ。私が歩いていた道は小型車がやっとすれ違えるくらい狭かったが、自動車はあまり走っていなかった。交差点からは坂下の住宅が見えた。そのあたりにはまだ中高層アパートはなかった。平屋の住宅の屋根だけが遠くまで見渡せた。道路の両脇には、朝まで燃えていた練炭の燃え殻が捨ててあった。練炭の灰は道路に捨てるという習慣だった。古い住宅地の全部が、練炭の燃えカスの匂いに包まれていた。
「応答せよ 1988」の朝のシーンは、落ち葉を掃いているか、練炭の燃え殻を道路に捨てに家から出てくるシーンで、私の80年代の旅を思い出と重なる。
銀行員の父が借金の保証人になったために貧しい生活をしているトクソンの家では、煮炊きに石油コンロを使っている。友人からは「まだそんなものを使っているの」と言われる。のちに、借金をすべて払い終えてまず買ったのはプロパンガスのコンロだった。煮炊きの燃料はプロパンガスと石油コンロの違いはあるが、暖房は貧富の差なく、どこの家も練炭だ。
韓国の練炭情報を集めていたら、国家記録院とでもいうのか、韓国人の生活記録を集めたサイトが見つかり、練炭や制服、キムチ、長髪取り締まり、インスタントラーメン、上水道など生活のさまざまな事柄のコラムがある。まさに私が知りたい雑学サイトだ。自動翻訳でかなり理解できるテーマと、あまりわからない事柄の差があるが、このサイトで数時間遊んでしまった。
http://theme.archives.go.kr/next/koreaOfRecord/viewMain.do
練炭とは、石炭、コークス(石炭を蒸し焼きにしたもの)、木炭の粉を円筒形に固めたものだ。豆炭も材料は同じで、形が違うだけだ。韓国では暖房用などに練炭が広く使われたが、いろいろ問題もあった。なぜか、いつも生産が追い付かず、品不足になっていたという。練炭は重く、しかもひと冬に大量に使うので、輸送が大変だった。自動車が入れない丘の上など苦労があった。練炭の最大の問題は、不完全燃焼や換気不足による一酸化炭素中毒だ。「応答せよ 1988」でも、あわや中毒死というシーンが第1話にある。韓国のドラマや映画では事故・他殺などが原因の中毒死が出てくる。
ウィキペディアによれば、韓国の練炭消費のピークは1988年で、民家の78パーセントが暖房に練炭を使っていたが、1993年には33パーセントに減り、2002~2003年には2パーセント台になった。暖房の熱源が石油やガスや電気に変わったのだ。
85年の取材のときに、中層アパートに住む韓国人宅を訪問した。インタビューするだけの仕事だが、私は知りたいことがいろいろあり、暖房施設も見せてもらった。台所の脇に練炭ボイラーがあり、それで湯を沸かし、床暖房にしている。練炭は各戸に割り当てている地下の専用倉庫に保管されているというので、その倉庫も見せてもらった。
1980年代は、練炭の最後の時代だったが、完全に消えたわけでなく、食堂の煮炊き用に使うほか、石油の価格によっては暖房用にまた練炭を使うこともあるようだ。