1402話 広島とアジア映画

 大林宣彦監督が亡くなった。病身の映像は以前から見ているから驚きはない。大林作品は10本近く見ているが、相性は良くない。芸術的映像というのが、どうも苦手なのだ。「転校生」、「時をかける少女」、「さびしんぼう」の、いわゆる尾道三部作も見ていない。だから、「これはよかった」と思えるのは、芸術的映像美に走っていない「青春デンデケデケデケ」と「北京的西瓜」の2作だけかなあ・・・などと考えていたら、その昔、大林監督と会ったことを思い出した。いつのことかもうはっきりとは思い出せないのだが、1990年代半ばか。場所は広島市だ。

 広島の広告代理店から電話があり、広島市が「アジアと映画」に関するシンポジウムをやるので、参加してくれないかというようなものだったような気がする。「私はアジア映画の専門家じゃありません」と断ったのだが、「映画がメインではなく、アジアの人々と映画ということで・・・・」ということなので、ヒマでカネが欲しい私は出席を決めた。ほかの出席者は、大林監督、俳優中野良子、そして名前は忘れたが国際政治学者で、合計4人でやるという企画らしい。

 当日、広島の会場に着き、担当者から進行表をもらった。もう筋書きができていて、その筋書きが、大林&中野による中国と映画が中心テーマだとわかった。大林の「北京的西瓜」の撮影のいきさつ、つまり映画のラストのシーンが天安門事件で撮影できなかったという話だ。そして、中野良子が出演した「君よ憤怒の河を渉れ」(1979)で、中国で彼女がいかに絶大な人気を得たかという話で、客が聞きたかった話もそれだろう。その時点で、私は「君よ・・・」は見ていない(のちに見たが、さほどおもしろいとは思わなかった)。「北京的西瓜」はすでに見ていて、おもしろい作品だとは思ったが、監督を前に語ることは何もない。

 会場で、「前川さん、中国と映画の関係など、ひとこと」と振られたが、話せることはないし、話したいこともない。

 「中国映画は10本ほどしか見ていないし、中国には行ったことがないので・・・」と言って、場内の失笑をかった。中国以外のアジア映画の話をしたら、ひとり語りになってしまう。

 冷や汗モノの90分が終わり、私が何を話したか覚えていない。多分、言葉のやりとりはなかったのかもしれない。会場を出て、廊下でちょっと言葉を交わした。監督が私に「これから、東京にお帰りですか」と、声をかけた。社交辞令だ。優しい口調と優しいまなざしだった。「いえ、明日の夕方まで広島で遊んでいます」と話しながら、トイレで並んで用を足した。それだけの接触である。

 なにか、内容のあることを質問するとか論議するといった体験があればいつまでも覚えていたのだろうが、何もないので、あの日のことはすっかり忘れていた。

 あっ、だんだん思い出してきた。シンポジウムの直前、出席者や広島市長が集まって30分ほど、顔合わせと打ち合わせをやった。スター中野良子が芸能人オーラを出しながら、ひとりでしゃべり、だから私は終始無言だった。控室の白いテーブルクロスと厚めのコーヒーカップの映像が記憶にある。大林監督は別件の用件があったのか、その席にはいなかったように記憶するが、まあ、あてにはならない。私ひとりが無名の異分子だから、話すこともない。高校時代、「中野良子が大好きだ」と言っていた級友のことを思い出していた。